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霊場参拝
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第30番
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佛性山 正縁寺 所在地:寝屋川市国守町
最寄駅:JR学研都市線「忍ヶ丘」下車、北へ徒歩約500m。
OR京阪バス「東寝屋川駅」行きで「正縁寺」下車、すぐ
当山の創起は明らかでないが、元は融通念仏宗守口佐太来迎寺の末寺であった。正縁寺の庫裏と本堂は焼失前の来迎寺の規模を一回り小さくしたものといわれている。現在は浄土宗知恩院末である。
 境内にある石造物には永禄2年(1559年)や天正18年(1590年)の紀年銘のものがあり、戦国時代には存在していたようである。
 また、当山は院号を楠公院と号する。楠木一族との関連は不明とのことであるが、四條畷市に隣接する場所柄からも見ても、なんらかの関わりがあっての院号かもしれない。
 境内には上記中世の紀年銘のある六字名号碑や十三仏を初めとして、市内では類を見ない石造物が多くあり、石造物の宝庫と言われている。

[参考資料] 『寝屋川市史』、『現地案内碑』 寝屋川市
正縁寺山門 正縁寺山門。
正縁寺本堂。
現在の本堂は「弘化2年(1845年)」再建上棟の棟札が残る。
1983年(昭和58年)に修復が行われている。
先の阪神淡路大震災には大きな損傷は受けかったとのことである。
正縁寺本堂
正縁寺石仏郡-1 正縁寺石仏郡-1
境内の一角に集められている石像物群。現地の案内碑によると、これらの石仏はかっては村内の各所に祀られていたものが、土地の造成や道路拡張や際に当寺に集められたものとしている。
左側の写真で中央、石龕の弘法大師像を挟んで、右側の六字名号碑は1590年(天正18年)、左側の六字名号碑は1559年(永禄2年)の紀年銘がある。
正縁寺十三仏 六字名号板碑
十三仏。1586年(天正14年)の銘がある。
高さ90cm、幅48〜50。十三仏のお姿がはっきりと残っている。
六字名号碑(天正18年)と石龕に納められた弘法大師像。
阿弥陀仏石像 役行者石像
花崗岩自然石に彫られた阿弥陀石仏。
江戸時代初期の作と見られる。
役行者石像。
ご朱印
河内三十三所観音霊場
正縁寺朱印
[2008年5月12日参拝]

寺院-234/TTL-635

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