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霊場参拝
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別格寺
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円通山須弥寺 所在地:交野市南森3丁目
最寄駅:JR学研都市線「磐船」OR京阪交野線「河内森」下車、
北へ約700M
当山の創基は佐太来迎寺(現守口市)に伝わる『須弥寺縁起』によれば弘法大師が826年(天長3年)頃当地に巡錫し、草庵を結んだのに始まり、859年(貞観元年)大安寺の僧行教が宇佐八幡を山城男山に勧請したときの警固観音を、862年(貞観3年)にこの地に安置したという。
 その後、堂宇は荒廃し、観音像を紛失するが、延久年間(1069〜74年)石清水八幡宮の神官森宮内小輔公文が当地向山に隠棲した際、石清水の宝殿より観音を迎え再興、傍らに石清水寺を建立した。
 寺名は遠通山清水寺と号していたが「しみず」「きよみず」の両読みができ、紛らわしいので1644年(寛永21年)森村領主永井尚政の命により、現寺号の円通山須弥寺に改めたという。
 元亀年間(1570〜73年)三好・松永らの兵火で焼失、天正年間(1573〜93年)西念が真言密教から念仏宗に改め、江戸時代の1673年(延宝元年)に融通念仏宗の佐太来迎寺(現守口市)の末となったが、明治維新後浄土宗に改宗、1942年(昭和17年)からは西山浄土宗粟生光明寺末寺となった。

[参考資料] 『交野市史』 交野市編
         『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社
須弥寺山門 須弥寺山門。


須弥寺本堂(阿弥陀堂)。
本堂は1730年(享保15年)の建立。
本尊は阿弥陀如来坐像。
須弥寺本堂
本堂の扁額
上記の写真は本堂に掛けられている扁額。
1685年(貞享2年)黄檗山5代法主高泉禅師の親筆と伝わる。
須弥寺観音堂須弥寺観音堂。
本尊は石清水八幡宮警固十一面観音菩薩像。
須弥寺鐘楼 いわく有りげな石
須弥寺鐘楼。
1758年(宝暦8年)の建立。
鐘楼の前に置かれていた巨石。横の案内板の文字は消えており、内容は不明。
『交野市史』では寺院が建立される以前の古代の祭祀の対象物であったとしている。
西国三十三ヶ所本尊石像 保護樹木のやまもも
境内には西国三十三ヶ所の本尊が祀られている。
奉納された年号に「享保16年」(1731年)のものがあった。
本堂の前の高台にあるヤマモモの大木。交野市の保護樹木に指定されている。
ご朱印
河内三十三所観音霊場
須弥寺朱印
[2008年3月8日参拝]

寺院-220/TTL-615

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