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所在地:四條畷市岡山2丁目
最寄駅:JR学研都市線「忍ヶ丘」下車、東へ徒歩約400m、
「忍陵神社」に隣接 |
当山は松風山岡山院と号し、一名讃良(ささら)寺。もとは大聖寺と記したといい、隣寺の見性寺(現在は廃寺)との間で、讃良寺継承問題をめぐって紛争が起こり、当寺の主張が大いに正しいとされたことから大正(だいしょう)寺になったという。
1619年(元和5年)に書かれた『大正寺縁起』によれば、1174年(承安4年)頃、津桙(つほこ)神社(現忍陵神社)付近に1人の尼長者がおり、氏神の津桙神を奉っていたが、法然の弟子の西仙房が当地に行脚し、尼長者に易行念仏の法を説いた。西仙房は近くの森に草庵を寄進され修行、この庵を讃良寺と呼んだ。
時代を経て1605年(慶長10年)、京都清浄華院の良光が堺への途次、西仙房の古跡を尋ね衰退した寺を再興、仏堂を建立し安阿弥作の阿弥陀如来を安置した。これが現在の大正寺という。
1615年(慶長20年)大坂夏の陣の戦火を避け、一時大和生駒に移ったが、翌年再びこの地に戻って来たという。
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[参考資料] 『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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大正寺の参道(左)と山門(右) |
大正寺本堂。
本堂は(平成6年)に新しく建て替えられた。
それまでの本堂は200年ほど前の江戸時代に建てられたものとのことであった。
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| 大正寺観音堂。
安置されている木造聖観音は平安時代のものと伝え、
今は廃寺となっている見性寺にあったものという。
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大正寺大師堂。
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大正寺鐘楼。
梵鐘には「宝永八年(1711年)」の年号が刻まれている。 |
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河内三十三所観音霊場 |
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[2008年4月25日参拝] |
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