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隆星山 光林寺 所在地:交野市星田1丁目
最寄駅:JR学研都市線「星田」下車、東へ700M「慈光寺」手前の道を北に入り約200M
当山の創建時期は不明だが、『光林寺什物帳』によると、「開基の儀は不詳だが、中興は長隆上人で、1591年(天正19年)のこと」と記されているとのことである。
 『交野市史』によると「寺に残る『過去帳』には10世住職貞阿の寂年が1726年(享保11年)とあり、これより推算して開山1世は少なくとも桃山時代、或はその少し前までさかのぼると思われる」としている。
 1638年(寛永14年)の私部山添家所蔵文書『星田村地詰帳』には「星の道場」、本堂の回廊に吊られて「寛文5年」(1665年)の銘がある喚鐘には「光林寺」、1677年(延宝5年)の『星田辻屋村名寄帳』には「光林寺」とあり、 開山当初は融通念仏宗の道場として隆星の森に在ったので「降臨寺」と称していたが、寛永から寛文間のいつの程にか同音の「光林寺」に変わったと思われる。
 江戸時代には融通念仏宗の佐太来迎寺の末となったが、明治維新後浄土宗に改宗、1942年(昭和17年)からは西山浄土宗粟生光明寺末寺となった。
 光林寺については隆星伝説が有名である。弘仁年間(810〜24年)弘法大師が河内私市の獅子窟寺の岩屋で仏眼尊の密法を唱えたところ、空から七曜の星が降り、旧星田村の三ヵ所に落ちたという。  これらの地は「八丁三所」といわれ、その1つが光林寺であった。現在も境内には空から降ってきたといわれる影向石が祀られている。

[参考資料]  『交野市史』 交野市編
          『光林寺の歴史』 光林寺パンフレット
光林寺本堂 光林寺本堂
光林寺山門。 光林寺本堂。現在の本堂は(平成11年)の建て替えられた。
それ以前の本堂は、1734年(享保19年)に建てられ、昭和の初めに屋根を葺き替えるなどの修復工事を行っている。
光林寺鐘楼 光林寺鐘楼。
吊るされている鐘は1782年(天明2年)の銘がある。
この鐘は河内一帯でよく見られる枚方村の田中家が鋳造している。
光林寺隆星石の祠 光林寺隆星石

石には注連縄が掛けられている。
境内には空から降ってきたという影向石が祀られている。
この石は弘法大師が獅子窟寺より星が落ちるのを見たという3ヵ所内の1つで、他の2ヵ所(星田妙見星の森)と併せ「八丁三所」と呼ばれている。
老松 光林寺地蔵堂
本堂の前に植えられている老松。幹の中は空洞で、かなりの年代物だが樹齢は不明。
この松は文化文政年間(1804〜29年)に書かれた『星田名所記』には「光林寺の有明の松」とあり、既に老松と表現されている。
光林寺地蔵堂。
地蔵堂は通りに面してある。
ご朱印
河内三十三所観音霊場
光林寺朱印
[2008年3月8日参拝]

寺院-219/TTL-614

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