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所在地:寝屋川市堀溝2丁目
最寄駅:京阪本線「萱島」Or「大和田」下車、京阪バス「四條畷」
方面行きで「堀溝」下車、南へ入るすぐ |
当山は寺伝によると鎌倉末期の1314年(正和3年)願阿上人の創建とあるが、詳しいことは不明である。現在の宗派は大念仏宗であるが、『寝屋川市史』によれば、開基した上人の法名「願阿」が「願阿弥陀仏」を略した阿弥号とすれば、創建当時は一遍上人につながる時宗の寺であった可能性があるとしている。
また、 『日本歴史地名体系』によれば、当寺院は元は「鶯関(おうかん)寺」と呼ばれたとあるが、寺院の門前の道は「行基みち」と呼ばれ、奈良時代に行基菩薩が開いたと伝えられており、平安時代には軍事的な目的や通行人から通行料を徴収するために「鶯(うぐいす)の関」が設けられたともいわれており、この「鶯の関」と何らかの関連があったのかも知れない。
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[参考資料] 『寝屋川市史』、『現地案内碑』
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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大念寺山門。
この山門が建てられて時期について、『寝屋川市史』によれば、本堂の棟札とは別の「文化十年(1813年)」の棟札が残されているが、この山門のものでないかと推察している。
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大念寺本堂。
2007年(平成19年)に落慶法要がなった真新しい本堂である。
それ以前の本堂は「安永七年(1778年)」の棟札が残されており、途中修復はされたものの230年前に建立されたものであった。 |
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| 大念寺鐘楼。
梵鐘は元は1670年(寛文10年)に和泉国日根野郡にある浄光寺の鐘として鋳造された物であるが、1928年(昭和3年)に大念寺に譲られた。
この梵鐘も先の大戦で供出されたが、戦後に寺に帰された。鐘身には成分分析のため小さな穴が6個あけられており、歴史の証言者でもある。 |
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境内に建つ2基の十三仏。
大きい方は1611年(慶長16年)、小さい方は風化が進んでいるが1609年(慶長14年)の紀年銘がある。
いずれも寝屋川市指定文化財である。
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河内屋北新田を開発した河内屋源七の墓。
河内屋新田は当寺の南側(現在の堀溝3丁目、河北中町、西町、東町)の地域で、もと深野池の池床を干拓し、1710年(宝永七年)に完成した。
地名の河北は河内屋北新田から来ていると思われる。 |
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河内三十三所観音霊場 |
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[2008年4月25日参拝] |
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