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霊場参拝
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第10番
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遺教山 所在地:枚方市津田元町2丁目
最寄駅:学研都市線「津田」下車、駅前の府道736号線を北へ
約500m、津田の信号を右へ、線路を越え山手に約400m
当山は天平時代興福寺の僧であった宣教大師が開基と伝えられる。1441年(嘉吉元年)の、『興福寺官務牒疏』に「開元寺 徳泉寺 津田寺 在同郡(交野)倶宣教大師開基坊舎八舎宛有之」と記されおり、この中の交野郡津田寺が当山の前身に当たるといわれる。
 元は津田の南東、えんず(円通)谷の口の平瀬にあった。1682年(天和2年)成立の『当郷旧跡名勝誌』の「円通寺事」には、えんず谷にあった円通寺の所在を示すとともに、「渚の院を開いた惟喬親王が当地で狩猟のとき門前に雪女が現れたことやえんず谷の奥で光物が出て障害があったため住僧がなく、修行をつんだ山伏が蟹の化身を祈りにより退治したが、その後寺は衰退したこと」などを記されている。
 平安時代に著された『諸山縁起』には葛城北峰の宿として、宣教大師開創の寺院が登場すること、現在の円通寺の境内には行者堂があることなどから、古代から中世にかけて葛城修験の霊場として隆盛していたと思われる。
 1669年(寛文9年)えんず谷の跡地に釈迦堂が再興され、のちに津田村の春日神社付近に移り、1700年(元禄13年)に同社境内に引き入れられた。
 寺伝の古記録によると1701年(元禄14年)に浄土宗知恩院末となり、遺教山円通寺と号した。
現在地には1761年(宝暦11年)本堂を建て移転し、現在に至っている。

[参考資料] 『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社
円通寺山門 円通寺の山門。
この山門が建てられた年代は不詳であるが、建築様式から見て、江戸中期(18世紀末)の建立と思われる。
円通寺の本堂。
1671年(宝暦11年)の建立。
本尊は阿弥陀如来像。
円通寺本堂
円通寺観音堂観音堂内部
観音堂とその内部。観音堂の本尊は千手観音菩薩。
円通寺境内のお堂 境内には観音堂(右端の建物)のほかに、、行者堂、大日如来堂、地蔵堂が立ち並んでおり、当山の歴史を物語っている。
ご朱印
河内三十三所観音霊場
円通寺朱印
[2008年8月20日参拝]

寺院-246/TTL-658

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