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霊場参拝
河内三十三ヶ所 河内西国観音霊場
第30番
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園通山観音禅寺 所在地:東大阪市稲田本町3丁目
最寄駅:JR学研都市線「徳庵」下車南へ、線路と平行の道を
約500M
当山は、1394年(応永元年)臨済宗妙心寺二世授翁宗弼が建立の大伽藍であったが、兵火に遭い灰燼に帰した。
 のち大松の根元の土中より三尺八寸の聖観音出現し、1429年(永享元年)より四辻に御堂を設けていたが、1648年(慶安元年)播州三木城主であった鈴木三郎九郎重成を大施主に再興した、実兄の石平道人(鈴木正三)を開基とする。
 以来女人祈願多く、特に安産に霊験著しく、美濃岩村城主丹羽式部少輔氏定公の妻が当観音に祈願し、男児を得た欣びで報恩の為、唐金の寝釈迦像・涅槃図と梵鐘を寄進、境内に桃の木千数百本を植樹した。
 参拝した当日は幸いにも、この寝釈迦像と涅槃図が特別公開されており、拝観することが出来た。

[参考資料] 『河内西国巡礼』 河内西国霊場会編
観音禅寺山門 この山門は普段は閉じられており、横の道に面した側に新しい出入り口がある。
鐘楼の梵鐘は大阪府文化財指定となっている。境内には桃の木が沢山植えられているが、時期的は一寸早かった。観音寺の桃の木は「稲田桃」の起こりと伝えられ、
江戸時代の中期から明治にかけ、ここ稲田村は桃の産地として広く知られていたという。
観音禅寺鐘楼
観音禅寺本堂


本堂は約350年程前の建物とのことで、石平道人の創建当時のものと思われる。本堂の前は「創興圓」という庭園になっている。


観音禅寺境内

 境内に祀られている金比羅宮
 (鳥居の奥)と身代弘法大師
 (その右)。
ご朱印
河内三十三ヶ所観音霊場
観音禅寺朱印
[2004年2月13日参拝]

寺院-060/TTL-140

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