  |
所在地:東大阪市菱屋西4丁目
最寄駅:近鉄奈良線「小阪」下車西へ、長瀬川沿いに南へ約300m、右側 |
当山の縁起は1662年(寛文2年)京都獅子谷、法然院2世忍徴上人が、石清水八幡宮の境内に一堂を建て一丈六尺の地蔵菩薩を安置したのに始まる。
明治初年の廃仏毀釈により、一時平安城南の昌玉院に還されたが、辺地のため、人々の供養は滞りがちとなり、このことを憂いた法然院25世名阿上人は、1892年(明治25年)、より多くの人の化益のため、大阪随一の繁華街難波新地(現在の難波高島屋の位置)に移し、新しい堂を建て延命地蔵尊迎え、寺の名前も「延命寺」と改めた。1924年(大正13年)、南海電鉄の難波進出のため現在地に移転した。
本尊の「阿弥陀如来」は当初鎌倉時代のものと思われたいたが、調査の結果、更に時代がさかのぼり、藤原時代のものと判明。
丈六の「地蔵尊」は鎌倉時代後期から室町時代の作と伝えられ、腹帯をした姿は「腹帯地蔵尊」、また「水子供養地蔵尊」として、大阪はもとより、遠来の参拝者が跡を絶たないという。この「阿弥陀如来」と「地蔵尊」は1975年(昭和50年)大阪府有形文化財(彫刻)の指定を受けている。
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[参考資料] 『延命寺沿革』 延命寺パンフレット
『現地解説板』 東大阪市 |
 |
地蔵堂は、通りに面してオープンになっており、お参りする人が跡を絶たない

地蔵堂に並び、お寺の入り口
は別にちゃんとあった。 |
境内にある仏足。仏足の原画は西村公朝氏の作で、足の大きさは約1.2mから身の丈を推定すれば、8.4mとお釈迦様が立っていることになるそうである。 |
 |
 |
川沿いの道は桜並木の遊歩道にもなっており、お寺の前には休憩用のベンチが置かれている。 |
 |
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河内三十三ヶ所観音霊場 |
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[2004年2月13日参拝] |
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