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所在地:東大阪市南荘町
最寄駅:近鉄奈良線「額田」下車、「玄清寺」の次の辻を南に入る、
最初の辻を西へすぐ |
額田寺(がくでんじ)の縁起は、1359年(応永2年)に額田の豪族、高内重行が先祖の旧記を記した
『ぬかた縁起』には、819年(弘仁10年)額田首(ぬかたのおびと)であった高内皆人が、弘法大師の高野山と京都・東寺との往来の途次における止宿場所として建立したもので、皆人は深く大師に信仰を寄せ、本尊に大師の自作である薬師如来を安置したと伝わる。
爾来、額田村民信仰の寺院として存在したが、その後兵火のため荒廃していたのを天正年間(1573〜92年)に再建されている。(お寺で頂いた当寺院の縁起書には参議小野篁が再興したと記載されていたが、世情知られている参議小野篁(802〜52年)は平安時代に活躍した政治家・歌人であり、時代を隔てて同姓同名の人が居たのだろうか)
明治初年、慈雲尊者ゆかりの額田長尾山不動寺(不動寺も高内皆人が建立したと伝わる)が廃寺となり、大師自作の本尊不動明王を額田寺に移したが、1939年(昭和14年)失火のため本堂が炎上し、本尊の薬師如来や不動明王を始めとし、他の仏像もことごとく焼失している。現在の本尊は1953年(昭和28年)に新作されたものを安置している。
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[参考資料] 『医王山 額田寺』 額田寺パンフレット |
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現在の本堂は1981年(昭和56年)に再建された。
お寺では珍しい入母屋作りの建物である。
お寺の山門には見えない出入
口である。 |
境内にある地蔵堂。
1905年(明治38年)建立と伝わる。地蔵堂に安置されている石造のお地蔵さんは珍しく片膝を立てた半跏思惟姿である。 |
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境内にそびえる楠木の大木。
特に保護樹木の指定は受けていないとのことだが、
見る人を圧倒させる。
立派な姿とは裏腹に、お寺の人によると台風が来ると
「倒れはしないかと、ひやひやしている」とのことであった。 |
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河内33ヶ所霊場 |
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[2004年12月25日参拝] |
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