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霊場参拝
新西国三十三ヶ所 新西国三十三ヶ所
第12番
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仏日山東光院 所在地:豊中市南桜塚1丁目
最寄駅:阪急宝塚線「曽根」下車、線路沿いの道北へ、
歯科医院の手前の入る、約300M「延命橋」を渡る
当山は萩の名所と知られ、一般には「萩の寺」として知られる。元は大阪市大淀区(現北区)にあったが、阪急電車の敷設により、1914年(大正3年)に現在地に移転。
 寺伝によると天平年間(729〜49年)行基菩薩の草創と伝わる。行基が摂津・豊崎村下三番(現北区中津)で火葬の方法を伝授したのを縁起として薬師堂を建立したのを初めとする。当時淀川水系に群生する萩を供花として霊前に捧げたのが、当山の萩の栽培の起縁とのことで、萩は当山の歴史でもある。
 16811年(延宝9年)相模国津久井郡功雲寺の霊全和尚が来住。曹洞宗となり、現山号・寺号を称した。
 文化年間(1804〜18年)に4世弥天一州禅師が当時大坂十人両替の殿村平右衛門(米平)、中原庄兵衛(鴻庄)の浄財寄進を受けて、伽藍を再興、現在に至っている。
また、境内には当寺の萩を好んだ正岡子規を始め、多くの俳人の句碑が建てられている。

[参考資料] 『東光院 萩の寺』 東光院パンフレット
         『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社
東光院山門 東光院山門。手前に「新西国第12番霊場」の石碑が建つ。
この山門は現地の解説板によると「本尊の薬師瑠璃光如来(行基作)の解脱門として1757年(宝暦7年)全竜禅師によって建立。1915年(大正4年)に中津より現在地に移築。1995年(平成7年)の阪神大震災により大破したが、同年7月に修復された。」とある。
東光院道了堂 東光院瑠璃殿
道了大権現を祀る「道了堂」。
1590年(天正18年)豊臣秀吉が小田原の陣中にて、両翼脱落の奇瑞をしめした霊像を当山に勧請したと伝わる。
大阪天満にあった「旧川崎東照宮」の本地堂「瑠璃殿」が明治初年の廃仏毀釈により、1872年(明治5年)に本地仏と共に当寺に移築され、隠岐伴桂寺より遷座の「あなごし地蔵」(伝小野篁作)と併せ祀られている。
東光院「萩露園」-1 東光院「萩露園」-2
「萩露園」から本堂を望む。 「萩露園」。訪れた時は水仙が盛りであった。
東光院(子規の句碑) 東光院(虚子の句碑)
大書院の前、「白萩庭」に建つ正岡子規の句碑
『ほろほろと 石にこぼれぬ 萩の露』
1934年(昭和9年)早春社の建立。
山門の横に建つ高浜虚子の句碑2首。『於もひおもひに 坐りこそすれ萩の縁』『我のみの 菊日和とは ゆめ思はじ』。2002年(平成14年)の建立。
ご朱印
新西国33ヶ所霊場
東光院朱印
[2005年1月19日参拝]

寺院-034/TTL-054

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