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霊場参拝
摂津三十三ヶ所 摂津三十三ヶ所
第26番
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曇華山廣智寺 所在地:高槻市天神町2丁目
最寄駅:JR東海道線「高槻」下車、北へ約500M
当山は臨済正宗・黄檗山万福寺に属する禅寺で、正式な名前は頂いたパンフレットによると、「優雲波羅華山観音廣智勝幢禅寺」という長い名前である。その創建の年月は不明であるが、寺伝では聖徳太子の開創といい、太子自ら観世音菩薩像を造り、堂宇を建て安置したことに始まる。
 当時は観世音寺と称し、中世以降は隆盛を極めたが、1578年(天正6年)高槻城主・高山右近よりキリスト教への改宗を迫られ、これに応じなかったため、諸堂宇は焼き払われた。この時、本尊の観音像のみが難を逃れ、里人達が草庵に安置して、守ったと伝わる。
 1661年(寛文元年)時の城主・永井直清が夢の中で、聖徳太子より現在の地に観音像を祭るように告げられた。直清の発心により、中国の高僧隠元の招聘知られる後水尾天皇の勅師龍渓が自ら開山となって再興した。
 後、弟子の独量櫟隠禅師が後を継ぎ、1673年(延宝元年)本堂や方丈を造立、今日の礎を築いた。

[参考資料] 『廣智禅寺寺歴・由緒』 廣智寺パンフレット
         『現地説明板』 高槻市教育委員会
廣智寺への階段 廣智寺は小高い丘の上にあり、下の道からは階段を登っていく。
階段の途中には禅寺独特の山門がある。 廣智寺山門
廣智寺本堂 本堂に安置されている多臂観世音菩薩立像(木造)は
1993年(平成5年)大阪府の有形文化財に指定されている。
ご朱印
摂津三十三ヶ所霊場
廣智寺朱印
[2005年2月22日参拝]

寺院-110/TTL-351

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