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霊場参拝
河内三十三ヶ所霊場 河内西国観音霊場
第6番
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天童山大黒寺 所在地:堺市美原町今井
最寄駅:近鉄南大阪線「河内松原」下車、近鉄バス「さつき野東」
行きで「今井」下車、西南へ約500M
当山は、1672年(寛文12年)隠元亡き後の黄檗3傑の一人、慧極道明(えごくどうめい)禅師により開山。寺伝によれば、当山が、黄檗宗法雲禅寺となるまでは、弘法大師が開基。七堂伽藍を有し、神福山長安寺と称した大寺院であった。
 元和年間(1615〜24年)長安寺は西除川の洪水によって流出。1617年(寛文11年)曹洞宗の僧宗月が霊夢により観音像を地中から掘出し、草堂を建立して安置した。翌寛文12年、宗月は万福寺より慧極禅師を招請し寺を再興したと伝わる。
 その後、禅堂、鐘楼、大門、大方丈、開山堂、斎堂、天王殿、長生閣など30年の歳月を費やして、黄檗様式の棟が建立整備され、建築当初の伽藍構成を今に伝えている。
 慧極禅師は、開山以後50年にわたり、同寺を中心に各地で教えを広め、中本山としての法雲寺を築き上げた。また、禅師は長州国萩(山口県)の出身で、万福寺に入る前は長州藩主毛利氏に仕える武家であった関係で、毛利公の強い招請により、毛利氏の菩提寺として萩に東光寺も開いたことでも知られる。

[参考資料] 『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社
法雲寺山門 法雲寺の山門は中国の寺院の雰囲気を持つ。
棟札により1719年(貞享4年)の建立と判明。
屋根両端の鴟尾の反りが、日本のものよりも大きい。
本堂(仏殿)は1716年(貞享元年)の建立。
安置されている本尊は釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来の3尊。その背後には各々小さな尊像が配されており、その数は3,333体あるという。
法雲寺本堂
法雲寺天王殿 法雲寺鐘楼
軒下の扁額には「鐘楼」とあるが、表からは鐘の存在は見えない。 天王殿。1704年(宝永元年)の建立。正面のガラスケースの中に大きな布袋さんが鎮座している。脇の像の説明では「弥勒菩薩」と書かれており、黄檗宗では布袋は弥勒菩薩の化身と考えられているとのこと。
法雲寺開山堂 法雲寺大観音菩薩像
開山慧極禅師の古希を祝って建てられた開山堂。
1701年(元禄14年)の建立。禅師の像が安置されている。
境内に建つ厄除大観音菩薩像。高さは台座を含め10mあり、遠くからもよく見え、法雲寺への目印ともなる。
ご朱印
河内三十三ヶ所霊場
法雲寺朱印
[2005年6月30日参拝]

寺院-143/TTL-408

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