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所在地:和泉市槇尾山町
最寄駅:泉北高速「和泉中央」下車、南海バス「槙尾山口」行きで「槙尾中学校前」でオレンジバスに乗換、終点「槙尾山」下車。徒歩で約1Km |
当山の創起は、寺蔵の「施福寺縁起」によれば、欽明天皇(540〜71年)の勅願により、播磨国加古の行満上人が開創したと伝わる。
役行者や行基菩薩などその時代の有名人が入山したとの伝えがあり、役行者が葛城諸峰に法華経1部8巻28品を納めた時、最終巻(尾巻)を当寺に奉納したことから俗に 槇尾寺(巻尾寺)と呼ばれるようになったという。
また弘法大師空海が当山で剃髪し、出家したとも伝わる。その後、空海は遣唐使として入唐し、806年(大同元年)帰朝の後、同2年頃から4年までの2年間、当寺に住したと言われる。
当寺は西国三十三ヶ所の第4番霊場であるが、当寺は最初から霊場の1つに数えられ、当初は流動的であった巡礼の順番も、平安時代後期の頃には現在の4番に固定されるようになった。
中世、後白河上皇や後鳥羽上皇など皇室の信仰もあり、寺は繁栄し、一時は一山の坊舎は970も数える大寺院であったが、1581年(天正9年)織田信長の兵火等により焼失。その後境内の建物は 豊臣秀頼によって再興されたといわれるが、1845年(弘化2年)山火事により、本堂伽藍の大半が焼失した。現存する建物の大半は安政年間(1854〜60年)以降の再建である。
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[参考資料] 『槙尾山 施福寺』 施福寺パンフレット
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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施福寺への参道。この手前にバス停と自動車の駐車場があり、
あとは徒歩で本堂まで約1KMの道のり。 |
5分ほど歩くと山門(仁王門)にたどり着く。ここまでは、比較的平坦な道が続いている。
仁王門は豊臣秀頼の寄進と伝わる。その後、度々修理が行われている。1799年(寛政11年)に修理の遺材が残る。 |
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山門をくぐった辺りの参道。この階段が、登るにつれて、歩幅が狭くなり、勾配が急になる。 |
大日堂。大日如来を安置する。 |
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愛染堂。空海が剃髪した場所と伝わる、現在の建物は幕末に建てられたもの。
西国愛染17霊場の第15番札所でもある。 |
空海の剃髪した髪を納めた御髪堂。
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施福寺の本堂。本堂は槙尾山(標高600m)の中腹、国土地理院の地図では標高485mの位置にある。
(施福寺のパンフレットでは530mとなっている)
現在の建物は1857年(安政4年)の再建。
本尊の弥勒菩薩は秘仏である。両側に十一面千手千眼観音と文殊菩薩立像、後堂に馬頭観音坐像を安置する。 |
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観音堂と安置されている観音像。西国三十三カ所並びに番外の観音像が安置されている。
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虚空堂。
本堂のある位置より、ダイアモンドトレール道を1丁(約109m)程下った所にある。 |
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和泉三十三ヶ所観音霊場 |
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西国三十三ヶ所霊場 |
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[2006年6月6日参拝] |
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[2000年2月28日参拝] |
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