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霊場参拝
新西国33ヶ所 新西国33ヶ所
第7番
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天野山金剛寺 所在地:河内長野市天野町
最寄駅:南海高野線OR近鉄南大阪戦「河内長野」下車、
南海バス「光明池駅前」行OR「槇尾中学校前」行などで、
「天野山」下車すぐ
金剛寺は、天平年間(729〜49年)行基菩薩聖武天皇の勅命によって開創した。下って、弘仁年中(810〜24年)弘法大師により、密教修練の霊域となる。
 その後400年近くの星霜を重ねる間に、寺は衰微してしまったが、平安末期、高野山の阿観上人後白河法皇と皇妹八条院の帰依を受け復興し、勅願寺となった。
 この八条院に奉仕した女官の1人浄覚尼が、阿観上人の後を受けて、金剛寺の第2代となった因縁もあり、高野山が女人禁制であったのに対し、当時から女人の参詣を許し、女人高野と呼ばれる様になった。現存の建物で、国の重要文化財となっているものの大半は、この時期1170年代(嘉応2年〜治承3年)に建立されている。
 南北朝時代初期から南朝方の祈願所になり、後村上天皇が1354年(正平9年)10月に吉野・賀名生を出て、当寺の摩尼院を仮の宮居に定めて以来、長慶天皇後亀山天皇の3代20余年にわたり、行在所となった。
 また、捕われていた北朝の三上皇(光厳光明崇光)がこれに先立つ1354年(正平9年)3月当寺に御幸になり、以来4年間、塔頭の観蔵院がその御所(幽閉所)になっていた。4年間という短い期間であったが、敵対する南北両朝の行在所が同じ敷地内に存在したということは、金剛寺にとっては、莫大な出費とともに大変な気苦労があったことは想像に難くない。

[参考資料] 『金剛寺小志』 金剛寺編 (納経所で買い求めた小冊子)
金剛寺南大門 金剛寺楼門
南大門。元禄時代の建立、大阪府指定の文化財
名前からは大きな門を想像するが、車が1台通れるだけの小さな門である。門をくぐったところが駐車場になっている。
楼門。
更に進むと左手に朱塗りの入母屋造の門が見える。
鎌倉時代の建造物で国指定の重要文化財である。
金剛寺金堂 金堂。国指定の重要文化財
1178年(治承2年)の建立、慶長年間に大修理で改造されたといわれている。
本尊の木造大日如来坐像は脇侍の木造降三世明王坐像及び木造不動明王坐像とともに運慶作と伝わる。
3体とも国指定の重要文化財。
金剛寺天野殿 金剛寺多宝塔
天野殿(食堂:じきどう)。国指定の重要文化財
後村上天皇が当寺に行在中の6年間、この食堂を正殿として政庁に使用された。
多宝塔。国指定の重要文化財
桧皮葺の塔で、わが国最古の形式を持つといわれる。
金剛寺御影堂 金剛寺五仏堂
御影堂。真如親王真筆の弘法大師堂を祀る。
金堂と同じ1178年(治承2年)の建立
五仏堂。大阪府指定の文化財
金剛寺摩尼院 金剛寺境内
後村上天皇の行在所となっていた摩尼殿。
国指定の重要文化財
境内を流れる天野川。
ご朱印
新西国三十三ヶ所霊場
金剛寺朱印(河内長野市)
[2006年6月6日参拝]

寺院-173/TTL-484

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