大阪再発見の表紙に戻る
霊場参拝
和泉三十三ヶ所 和泉三十三ヶ所
第18番
ロゴをクリックすれば
一覧表に戻ります
 楠木一族の足跡へ
市舒山観音寺 所在地:和泉市府中町6丁目
最寄駅:JR阪和線[和泉府中]下車、駅前商店街を抜け、北東へ約800M、近くに「泉井上神社)あり
宝国寺は1670年(寛文10年)円誉上人より開基されたと伝わる。 和泉33ヶ所の第18番札所はかっては円福寺という黄檗宗の寺院だったが、このお寺は明治初年に廃寺となり、本堂は宝国寺境内に観音堂として移築され、本尊の十一面観世音菩薩とともに受継がれている。
 また、宝国寺境内には湊川の合戦で兄楠木正成とともに戦死した楠木正季と、その子孫と思われる和田和泉守重次のものと伝わる墓があり、この墓が他の場所から移したものでも無く、後世に建てられた供養墓でもなければ、室町時代の前半の応永年間(1394〜1427年)には当地には寺院が存在していたことにもなり、非常に興味深い話でもある。
宝国寺を開基したと伝わる円誉上人とはどのような人物だったのか。Webで検索したところ、全国各地に円誉上人が開基した寺院が存在し、いずれも時代が異り、250年以上の幅があった。全てが同一人物とは思えず、複数名の円誉上人がいたと思われ、宝国寺の円誉上人は特定出来なかった。
1.室町時代の創建。
兵庫県佐用町 正蓮庵、これが一番古く応永年間(1394〜1427年)の創建。
兵庫県尼崎市 甘露寺 室町時代時期不明。
京都府下京区 正行院(さる寺)、京都府北区 宗蓮寺、は室町末期と伝わる。 
2.安土桃山〜江戸時代の創建
大分県臼杵市 龍原寺 1601年(慶長6年)、広島県福山市 定福寺 1621年(元和7年)、
兵庫県篠山 大円寺 1644年(正保元年)、東京都港区 龍原寺 鐘に元禄13年(1700年)の銘あり。

[参考資料] 『泉州 和泉西国三十三所めぐり 観音さま』 和泉西国会発行
宝国寺本堂 宝国寺本堂。2階建ての2階部分が入口で、1階は
庫裏になっている。
和泉西国18番札所の石碑 円満寺入口
観音堂の入口の傍らに「和泉西国18番札所」と彫られた古い石標があった。  通りに面してある観音堂。入口のには「円福寺」の扁額がかかっていた。
宝国寺釣鐘 本堂に階段の下に置かれてあった鐘。
「昭和35年鋳造」(1960年)の銘が入っている
この地の篤志家より、鐘と鐘楼を寄附したいとの申し出があり、鐘は鋳造されたが、その後事業がうまく行かなくなり、鐘楼の建設は中断したままで手付かずの状態になっている。
楠木正季(和田二郎)と和田和泉守の墓とつたわる墓石。
奥の自然石の墓の台座には[和田氏]とあり、手前の[六字名号(南無阿弥陀仏):はっきりとは読めなかったが]も墓なのか、2つとも墓とすれば、どれがいずれかの人物の墓なのか良く判らなかった。
楠木正季の墓
ご朱印
和泉三十三ヶ所観音霊場
宝国寺朱印
[2006年7月15日参拝]

寺院-174/TTL-490

1つ前に戻る このページの上に戻る 表紙に戻る

Copyrightc2015.Yoshi Planning.All rights reserved. 写真及び文章の無断使用は禁止します。