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霊場参拝
和泉三十三ヶ所 和泉三十三ヶ所
第4番
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瑞竜山 森光寺 所在地:和泉市室堂町
最寄駅:泉北高速線「和泉中央」下車、南海バス「父鬼」行きで、「室堂」下車、国道480号線に沿って南へ約500M、ファミリーマートの横を入る
貞享年間(1684〜88年)の和泉33ヶ所には第4番は松室村(江戸時代に室堂村に含まれた)にあった安養寺(地名にちなんで松室寺とも呼ばれた)と記され、泉佐野・慈眼院の末寺であった。森光寺は同じ室道村内あったが、他に極楽寺、施音寺の寺院があったといわれる。小さな村では4つの寺院の維持が出来なくなり、順次合併し、森光寺として存続することになった。
 森光寺は薬師如来を本尊としているが、安養寺の観音はそのまま森光寺の仏殿にに移され、秘仏として扉を硬く閉ざされたまま今日に及び、松室観音の名は古老の口から伝わるのみとなっていたが、1986年(昭和61年)森光寺塔頭として、境内に観音堂の再建がなされた。
 室堂村に伝わる話として、下記の 『日本歴史地名体系(大阪府編)』には、光明皇后にまつわる伝説が紹介されている。
『和泉国村々名所旧跡附』の室堂村の項に「字を照田・光田という田が2ヶ所あり、これは光明皇后の田地と伝わる。近所に小宮があり、金剛寺と号し、光明皇后の寺と伝わる」とある。また、別の話として「藤原不比等が勅使として槙尾寺に参拝した折、、当地を通ると田植えをする男女の中に、光を放つ者があり、都につれて帰った。これが後の光明皇后である」という伝説を紹介している。また、光明皇后は、国分寺にも生誕地伝説がある。
この地の近くには光明池や光明台と名付けられたニュータウンがあり、光明伝説は現在でも息づいている。

[参考資料] 『泉州 和泉西国三十三所めぐり 観音さま』 和泉西国会発行
          『日本歴史地名体系(大阪府編)』 平凡社
森光寺の本堂(奥の建屋)と観音堂(手前)。
森光寺境内に建つ観音堂。
元は安養寺の本尊の十一面観音像を安置する。
安養寺は771年(宝亀2年)法海上人の開基による。
本尊の十一面観音像は法海上人の作で槙尾山施福寺の観音像と同木同作と伝わる。
境内の中央に手入れされた樹木茂っている。
その奥の本堂がかくれてしまっている。
境内に祀られている地蔵尊の数々。
ご朱印
和泉三十三ヶ所観音霊場
森光寺朱印(和泉市)
[2006年10月13日参拝]

寺院-184/TTL-508

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