|
所在地:堺市南区美木多上
最寄駅:泉北高速鉄道「栂・美木多」下車、南海バス「横田高校前」行きで、「美木多」下車、西へ約500M |
当山は寺伝よれば、白鳳年間に役行者の開基といわれ、天平年間(729〜49年)行基菩薩が観音菩薩の瑞光を拝し、観音像を安置し、放光寺と名付けたと伝わる。
盛時には、神鳳寺〔堺市大鳥神社の神宮寺:1874年(明治7年)廃寺〕や野中寺(羽曳野市)とともに畿内三僧坊の1つとして、20余坊を持つ大伽藍だったが、天正の兵火で全堂灰燼に帰した。
江戸時代初期の1652年(承応4年)神鳳寺の快円和尚の弟子智玄坊により再興されたが、往時の堂宇には及ばなかったといわれる。
しかしこれらの堂宇も、歳月の経過とともに荒廃し、維持が困難となり、1872年(明治5年)には方丈、土蔵数棟を残して売却された。1914年(大正3年)に同所の多聞寺と合併し、本尊の毘沙門天を安置、寺観も整いはじめ、現在に至っている。
|
[参考資料] 『泉州 和泉西国三十三所めぐり 観音さま』 和泉西国会発行 |
|
放光寺の入口。放光寺境内の主な樹木は「放光寺の森」として、堺市の指定保存樹林となっている。加えて、珍しい花木が沢山植えられており、四季を通じて色々な花が咲き乱れている。 |
本堂は鉄筋コンクリート造りであった。 |
|
|
|
本堂の前の「五縁童子」。 |
境内に安置されている「大日如来像」。 |
|
|
|
和泉三十三ヶ所観音霊場 |
|
|
|
|
|
[2006年10月13日参拝] |
|
|