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霊場参拝
和泉三十三ヶ所 和泉三十三ヶ所
第16番
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瑞竜山 観音寺 所在地:泉大津市戎町
最寄駅:南海本線「泉大津」下車、西へ約300M、大津神社の角の
商店街のアーケード(旧紀州街道)南へ、約600M
観音堂の縁起は『槙尾山施福寺縁起』によると、宝亀年間(770年代)槙尾山施福寺中興の僧法界上人が大津の浦に観世音の影向を拝し、堂を建てたのを開基とする。
 下って、天正年間(1573〜92年)織田信長の兵火により焼失、その後再興され、延宝年間(1673〜81年)近くの浄土宗西金山阿弥陀寺の中興の祖、雲竜上人が転住し、念仏三昧の余生を送ったという。
 1698年(元禄11年)府中近辺の「寺社改帳」によると宇多大津村観音堂と記され、この頃の銘のある仏具も現存し、上記の阿弥陀寺の堂塔から独立したと思われる。
 1875年(明治8年)廃寺となったが、1892年(明治25年)に再興、現在に至っているが、この観音堂は一般の寺院に見られるような檀家と呼ばれるものは存在せず、土地の人の純粋な観音信仰の発願から堂が守られており、和泉33ヶ所札所の中でも特異な存在である。

[参考資料] 『泉州 和泉西国三十三所めぐり 観音さま』 和泉西国会発行
観音堂山門。
この山門は1987年(昭和62年)に再建された。
観音堂の入口。
本尊の十一面観音像のいわれとして、次のような話が伝わっているとのことであった。
いつの時代だったか聞き漏らしたが、『ある夜のこと、この村に旅の女人が訪れ、一夜の泊まりを要望した。あまりにもみすぼらしい姿をしていたので、村人は断ったところ女人の姿がスーと消えてしまった。
不審に思った村人が付近を捜してみると、海岸に観音像が漂っていたという。
先程の女人は、この観音像が化身したと思われ、この村で祭って欲しいことからの女人姿で現れたと思われた。以後、この観音堂に手厚く安置された』ということである。
境内には、地蔵尊も祀られている。
念仏三昧の余生を送ったといわれる阿弥陀寺の雲竜上人の墓とことだが、後年に建てられた供養塔らしい。
「享保6年(1721年)教誉敬白」の銘があった。
本堂の前にあった「和泉西国16番」の石碑。
かなりの年代もんらしい。門前にあったが保存のため、境内に移したとのことであった。
境内に見事な藤棚があった。
ご朱印
和泉三十三ヶ所観音霊場
観音堂朱印
[2006年11月3日参拝]

寺院-188/TTL-513

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