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所在地:富田林市大字龍泉
最寄駅:近鉄長野線「富田林」下車、金剛バス「龍泉」下車、西へ
約800M |
当山は595年(推古天皇2年)勅命により、蘇我馬子が創建した薬師如来を本尊とする名刹である。 このとき、この地の古い池に住み、近辺を荒らしていた龍が姿を現わし、「仏法の力にはとてもかなわない」と告げて飛び去ったという、伝説がある。その後、この池の水が枯れ、この付近にも水が沸かず、ついに寺も衰退した。
823年(弘仁14年)弘法大師がこの地を訪れ、牛頭天王を感得し、村人たちが困っていることを知り、龍王を祀ったので池には再び水がよみがえったという。弘法大師は池に出来た3つの島に、聖天、弁財天、叱天を祀り、牛頭天王を鎮守とした。
南北朝時代には、楠木正成が嶽山山頂に龍泉寺城を築いたため、戦乱に巻き込まれ、戦国時代の始めには、畠山義就と畠山政長の家督争いによる争乱のために再び戦火に遭うなど、25もあった堂宇は、仁王門を除き、ことごこく焼け落ちた。その後、江戸時代には、地元白木藩主の寄進を受け、度々の修理をへて現在に至っている。
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[参考資料] 『牛頭山 龍泉寺』 龍泉寺パンフレット |
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仁王門は鎌倉中期のもので、府下で最古唯一の八脚門である(重要文化財)。仁王さんのおられるところは現在では保存のため、ガラス張りの部屋となっている。
仁王(金剛力士像)は1275年(建治元年)の作品。 |
綺麗に手入れをされた境内と本堂。どうだんつつじの紅葉とと柘植の緑のコントラストが美しい。 |
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庭園は南北朝以前のものといわれ、国指定の名勝である。池には3島が配され、それぞれ弁財天・叱天・聖天の3社が祀られている。
今年は天候不順のせいかも知れないが、池の周りの樹木も紅葉が終わり裸になったものや、緑のままの木が混在している。
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弘法大師が八大竜王を勧請して雨乞いをしたとして伝わる「雨井戸」。 |
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[2003年11月23日参拝] |
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