|
所在地:八尾市久宝寺4丁目
最寄駅:JR大和路線「久宝寺』下車、北へ600M |
顕証寺は「久宝寺御坊」とも称し、本願寺第8世蓮如が布教活動拠点として、1470年(文明2年)*注
廃寺になっていた聖徳太子の創建になる「久宝寺跡」に「西證寺」として建立した歴史を持つ。
〔蓮如は1471年(文明3年)越前吉崎に移り、北陸の布教の拠点として「吉崎御坊」を建てており、非常に精力的な活動を行っているのには驚かされる。〕
顕証寺は浄土真宗西本願寺別院で、歴代の住持は連枝(親鸞聖人の血筋)の格式をもち、河内十二坊の総支配をつとめている。
顕証寺のある久宝寺寺内町は中世末、浄土真宗本願寺派などの寺院の境内に発達した町で、門徒の団結を図る為、この御坊を中心に周囲に二重の堀と土塀を廻らし、街路は碁盤の目のようになっていた。
この町では御坊が一切の支配権をもち、久宝寺城主安井氏がこの権利を委されていた。
顕証寺の北側にある「八尾まちなみセンター」で、町の成り立ち等が分かりやすく解説、展示されている。 |
*注 西證寺の成立は下記「現地解説碑」記載の年代に従ったが、顕証寺のホームページでは、蓮如最晩年の明応年中(1492〜1501年)としている。別に1479年(文明11年)とする伝えもある。
|
[参考資料] 『現地解説碑』 八尾市教育委員会 |
|
威風堂々とした山門は明治年間に再建されている。
寺の脇の入り口に「蓮如上人
御建立 久宝寺御坊 顕証寺」
の大きな石碑が建つ。 |
本堂は大阪府下で最大の規模を誇る建物で、江戸中期の1716年(正徳6年)に御堂再興、上棟の記録があるとので、約290年の歴史を持つ。 |
|
|
境内には親鸞上人(奥の像)と蓮如上人(手前)が向き合う形で立っている。
親鸞と蓮如は250年近くの隔たりがあり、歴史を越え、何を語り合っているのであろうか。
親鸞:1173年(承安3年)〜1262年(弘長2年)
蓮如:1415年(応永2年)〜1499年(明応8年) |