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霊場参拝
近畿三十六不動尊 近畿36不動尊
第23番
役行者霊蹟札所
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神仏霊場・醍醐寺へ
深雪山醍醐寺 所在地:京都市伏見区醍醐東大路町
最寄駅:地下鉄東西線「醍醐」下車、東へ徒歩約15分
 醍醐寺は弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝が、874年(貞観16年)に創建した。山岳信仰の霊山であった笠取山(醍醐山)に登った聖宝は、地主神・横尾明神より醍醐水の湧き出るこの山を譲り受け、准胝・如意輪両観音を山上に祀ったのが始まりである。
  開創後、醍醐・朱雀・村上の3代の天皇の深い帰依により、山上に薬師堂、五大堂、山下に釈迦堂、法華三昧堂、五重塔などが次々と建立され、山上(上醍醐)・山下(下醍醐)にまたがる大伽藍が完成した。以後も、皇室を始め貴族や武士の支援を得て、三宝院をはじめとする諸院や種々のお堂が建立され、真言密教の中心的寺院として、多くの信仰を集めている。
 しかし、長い歴史の中で、何度も火災に遭い、文明・応仁の乱では五重塔を残して、下醍醐は焼失、上醍醐も荒廃した。1598年(慶長3年)豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」を契機に、秀吉並びに秀頼によって、金堂や三宝院、山上では開山堂や如意輪堂などが再建された。 
・「役行者霊蹟札所」は塔頭の三宝院であるが、訪れた花見の当日は拝観の待ち時間が1時間以上とのことで断念し、今回改めて出直した。
・「近畿36不動尊」のホームページには23番札所は上醍醐寺・五大堂と記されている。下醍醐から上醍醐までは往復2時間弱もかかり、「西国33ヶ所」の札所でも、最難関の札所でもあるが、「神仏霊場」巡拝で醍醐寺を参拝した折に確認した所、醍醐寺でもご朱印が頂けるとのことだったので、上醍醐寺への参拝は次回に譲り、今回はここでご朱印を頂いた。
[参考資料] 『世界文化遺産 醍醐寺』 醍醐寺パンフレット
醍醐寺西総門 醍醐寺西大門
西総門。普段の醍醐寺は訪れる人も少なく、静かなたたずまいであり、花見のシーズンとの落差が大きい。 西大門。1605年(慶長10年)豊臣秀頼が再建。
醍醐寺金堂 醍醐寺五重塔
金堂(本堂:国宝)。豊臣秀吉の発願により、紀州・湯浅の満願寺本堂を移築。1600年(慶長5年)落慶。 五重塔(国宝)。931年(承平元年)前年に亡くなった醍醐天皇の冥福を祈るため、第1皇子の朱雀天皇が発願。20年後の951年(天歴5年)の完成した。
醍醐寺不動堂と堂前の護摩道場 醍醐寺弁天堂
不動堂(奥の建物)と堂前の護摩道場。ここで当山派修験道の柴燈護摩がたかれる。 七福神の一つ弁財天を祀る弁天堂。
醍醐天皇一千年忌を記念し、1930年(昭和5年)篤信家の寄進により造築。
三宝院
 三宝院は1115年(永久3年)14代座主勝覚の時建立され、歴代座主が居住した。江戸時代に入ると幕府より、当山派修験の本山であると明確に位置付けられた。
三宝院山門 三宝院大玄関
三宝院山門。 大玄関(重要文化財)。1598年(慶長3年)の造立。
三宝院庫裏 三宝院大玄関前の松の植込み
庫裏(重要文化財)。1598年(慶長3年)の造立。 大玄関前の松の植込み。
三宝院唐門 唐門(国宝)。三宝院の勅使門で、1599年(慶長4年)に完成。平成22年に創建当時の姿に復元された。
門全体が黒の漆塗りで、菊と桐の4つの大きな紋には金箔が施されている。
「醍醐の花見」の折にはこの門から行列が繰り出される。
ご朱印
近畿三十六地蔵尊 役行者霊跡  
醍醐寺朱印-1 醍醐寺朱印-2  
[2012年4月8日参拝] [2012年8月5日参拝]

寺院-263/TTL-762

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