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所在地:京都市左京区御室大内
最寄駅:京福電鉄北野線「御室」下車、北へ約400m
「仁和寺」の東隣。「仁和寺東門」の正面にあり |
蓮花寺の縁起は、後冷泉天皇の勅願によって、藤原康基が1057年(天喜5年)に建立したのを始まりとする。その後、応仁の乱(1467年)の兵火に遭い、鳴滝音戸山(五智山)に移された。
百数十年の間荒廃が続き、伊勢生まれの江戸の豪商樋口平太夫によって1641年(寛永18年)に再興され、仁和寺の覚深法親王より、改めて「五智山蓮花寺」の号を賜った。
1928年(昭和3年)慈海大僧正により、寺院は現在地に移されたが、そのまま残されていた五智如来を始めとする石仏郡は山中に離散し、荒れ果てていた。その後、石仏は1958年(昭和33年)に収集し修復され、境内に遷座安置された。五智如来像とは、その名のとおり智恵の祈願仏であり、昔から学業の守護本尊として信仰を集めている。
また、当院で毎年「土用の丑」の日に行われる『きゅうりふうじ』の法要は、弘法大師が五智不動尊を創祀した際に伝えたといわれ、一切衆生の病苦、悪業、災難を、きゅうりの中に封じ込めるという秘法厳修である。きゅうりに氏名・年令・病名などを書き込み祈祷をして貰い、家に持ち帰り、体の悪い所を撫で、土の中に埋めるか、川に流すなどすると、病気が治るというもので、お年寄りは勿論のこと、若い人や外国人の参拝者も増えているとのことである。
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[参考資料] 『五智不動尊縁起』 蓮華寺パンフレット |
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当院は「仁和寺」の東隣にあるが、仁和寺に来た観光客がこの寺院にまで足を伸ばすことは少ないと見え、訪れたときは、境内には人影はなかった。 |
本堂の不動堂は1972年(昭和47年)の再興である
不動堂の前に建っている石碑には当寺の縁起が刻まれている
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これらの石仏は江戸時代の木喰僧・但称の作で、樋口平太夫が蓮華寺再興の際、五智不動尊の修理と五智如来の彫刻を但称上人に依頼した。
本堂前庭の右(手前)より薬師・宝生・大日・阿弥陀・釈迦如来の五智如来像と、その背後に石像が全部で11体並んでいる。 |
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近畿三十六不動尊霊場 |
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[2003年10月16日参拝] |
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