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所在地:尼崎市寺町
最寄駅:阪神「尼崎」下車、五合端通りを南へ、交番の角を西へ 入る。西へ約200M |
大覚寺は現存する尼崎最古の名刹であり、寺伝によれば、605年(推古天皇13年)聖徳太子が百済の高僧日羅上人に命じて、夜々瑞光に輝く長洲の浦(今の大物・東本町)に建立した燈炉堂をが起源と伝わる。
鎌倉時代の1275年(建治元年)には、東大寺円照上人の弟子、琳海上人が石清水八幡・大乗院座主を辞して大覚寺の住持となり、加茂神社の管理者として、長洲荘を支配し、港湾経済都市尼崎の発展に貢献した。
また、南北朝・室町時代には足利2代将軍足利義詮が半年間在陣し、大覚寺城と呼ばれ、政治・経済・軍事・文化の権力を掌握してするなど、大覚寺の境内の市庭を中心として、中世都市尼崎が形成されたと言われている。
1617年(元和3年)戸田氏の尼崎城築城にともない現在地に移転し、尼崎藩のご祈祷所として、藩主・藩領などの安寧豊楽を祈願してきた。
なお、大覚寺に伝わる56点の、正和2年から天正17年(1313〜1589年)に至る間の文書(『大覚寺文書』)は尼崎の中世を今に伝え、兵庫県文化財に指定されている。
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[参考資料] 『本山 大覚寺 弁天堂』 大覚寺パンフレット
『現地説明板』 尼崎市教育委員会 |
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大覚寺のある地域は、真宗以外の各宗の寺院11ヶ寺が甍を並べており、各寺院を巡ると、ちょっとした「歴史探索」が出来る。(尼崎市が設置した「現地解説板」も充実している) |
本堂は明治に入ってから2度の火災に遭い、全焼したことから1938年(昭和13年)の再建時には鉄筋コンクリート造りで建て替えられている。 |
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境内に建つ弁才天堂は、大覚寺に現存する建物では1番古く、1615年(慶長20年)の棟木を持つ。
尼崎市の重要文化財に指定されている。 |
境内に建てられている能舞台。参拝した翌日(2005年5月4日)に阪神・淡路大震災10周年追悼の「能のつどい」が開催されるとのことで、準備が進められていた。 |
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山門を入ったところに建てられていた契沖の歌碑。
契沖は当地尼崎の生まれで、近世国学の祖と言われる。
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摂津八十八ヶ所霊場 |
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[2005年5月3日参拝] |
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