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霊場参拝
役行者霊蹟札所 役行者霊蹟札所
第16番
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神仏霊場・霊山寺へ
登美山鼻高霊山寺 所在地:奈良市中町
最寄駅:近鉄奈良線「富雄」下車、奈交バス「若草台」行で
「霊山寺前」下車
霊山寺(りょうせんじ)の縁起は683年(天武天皇12年)右大臣小野富人(小野妹子の息子と伝わる)が職を辞して、熊野本宮に参篭中、薬師如来を感得。ここ登美山に薬草湯屋を建て薬師三尊仏を祀り、薬草風呂にて諸人の病を治したのを揺籃とする。
 小野富人は鼻高仙人と称され、尊崇されたと伝わる。
 736年(天平8年)聖武天皇は考謙皇女の病をこの湯屋の薬師如来に祈念し、快癒したことから、行基菩薩に命じて伽藍を建立。天正8年にインド・バラモン僧菩提僊那が来日し、登美山の地相がインド霊鷲山に似ているところから霊山寺と名付けた。
 鎌倉時代には北条時頼の帰依が厚く、多くの寺領を下付され、1283年(弘安6年)本堂の改築、伽藍の大修理がなった。
 その後、豊臣秀吉徳川家康も寺領を寄進、江戸時代には幕府の御朱印寺として寺勢21ヵ坊を数えた。
 明治初年の廃仏毀釈により、伽藍の規模は半減、200体の仏像が焼却に遭う事態に至ったが、昭和・平成の時代を経て復興し、今日の隆盛を保っている。

[参考資料] 『大和国 登美山鼻高 霊山寺』 霊山寺パンフレット
         『役行者霊蹟札所巡礼』 役行者霊蹟札所巡礼会編 朱鷺書房
霊山寺入口 お寺の入口に建つ大きな朱塗りの鳥居。
お寺の前を通る県道からもよく見えるシンボル的な建物である。
本堂は鎌倉時代の代表的建造物。(国宝)
1283年(弘安6年)改築、1942年(昭和17年)解体
修理を行った。
本尊の薬師如来、脇侍の日光・月光菩薩のほか、12神将、2天王、大日如来、阿弥陀如来は国の重文指定。
霊山寺本堂
霊山寺鐘楼 霊山寺三重塔
鐘楼(重文)。室町時代の建立。 三重塔(重文)。鎌倉時代の中期の建立。
霊山寺弁天堂 霊山寺行者堂
弁天堂。大弁才天の本地聖観音を本尊とし、毘沙門天、不動明王を祀る。 行者堂。神変大菩薩(役行者)、不動明王、青面金剛を祀る。
ご朱印
役行者霊蹟札所
霊山寺朱印
[2005年7月24日参拝]

寺院-147/TTL-415

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