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所在地:京都府長岡京市浄土谷
最寄駅:阪急京都線「長岡天神」駅よりバスで「奥海印寺」下車、
徒歩30分 |
楊谷寺(ようこくじ)は俗に柳谷(やなぎだに)観音と呼ばれ、寺伝に寄れば、京都清水寺開祖の延鎮が806年(大同元年)に開山。
延鎮僧都は夢のお告げにより、当地で十一面千手千眼観世音菩薩像を発見。この地に堂宇を建て安置したと伝わる。
延鎮僧都が清水寺に帰った後、空海もこの地で修行したとも言われ、当山では延鎮を第1世、空海を第2世としている。
また、境内の岩穴から湧き出る独鈷水(おこうずい)は、空海の奇瑞により眼病に効く、という信仰があり、毎月17日の縁日には多くの参詣者で賑わうとの事である。
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[参考資料] 『柳谷』 柳谷観音 楊谷寺パンフレット
『現地解説板』 長岡京市観光協会 |
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当山の山門は四脚門で、かつては皇族・貴族達専用の門であった。現在修復工事中のため、その姿は見ることが出来ない。 |
現在の本堂の建物は江戸時代の元禄年中(1688〜1703年)の修復による。
本尊の十一面観音像は古来より眼病に霊あらたかと伝わる。この観音像は1998年(平成10年)大修理の折、胎内から文書が発見され、そこには寄進者の名前等が書かれており、当時の長岡京市一帯の文化や風土を示す貴重な資料となり京都府重要文化財の指定を受けている。 |
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独鈷水の湧き出ている岩屋(右側の写真)、厳重に鍵が掛けられている。
811年(弘仁元年)当山に参拝していた空海がある時、小猿のつぶれた眼を岩屋から湧き出る清水で、一生懸命に洗っている親猿の姿を見かけ、小猿のために17日間の祈祷を行い、治癒させた。空海はこの清水をさらに独鈷で持って深く掘り広げ、眼病に悩む人々のために霊験あらたかなる霊水としたと伝わる。
また、江戸時代に第112代霊元天皇(在位1663〜87年年)が眼病を治癒されたことをきっかけに、明治初年天皇家が江戸に移るまで、歴代天皇家にこの独鈷水を献上していたとも伝わる。 |
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阿弥陀堂。江戸時代の建立。淀君の寄進と伝えられる本尊の観音像を納める厨子は扉には豊臣家の紋が入っており、幕府の迫害を逃れるため、当寺の住職が、この阿弥陀堂に移し、難を逃れたとの事である。 |
奥の院。113代中御門天皇が生母新崇賢門院の追善菩提のため、当山本尊の観音像のレプリカを製作し、宮中に奉安していたものを、1719年(享保4年)奉安堂とともに当山に移された。
現在の堂は1912年(大正元年)に建立。大正4年に焼失し、1930年(昭和5年)に再建されている。 |
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[新西国三十三ヶ所霊場] |
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[2005年11月9日参拝] |
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