  |
所在地:宝塚市鹿塩1丁目
最寄駅:阪急今津線「仁川」下車、線路沿い北へ約300M |
当山は聖徳太子が摂津武庫7大寺院の1つとして建立されたと伝わる。その後の寺伝などは、1582年(天正10年)荒木村重の乱で堂宇ことごとく焼失し、資料などは残っておらず不詳である。
現在の阪急仁川駅ホームの横に墓地があるが、この墓地はかっては金龍寺の外墓と呼ばれており、寺院の近くにある内墓とあわせその敷地は広大なものであったことを伺わせる。
現存の建物は、元禄年間(1688〜1704年)に、赤穂義士を支援したあの天野屋利兵衛が泉州堺より、移築寄進したとの話が伝わる。庫裡の建築様式や当山に遺されている資料や建具、仏具などがその時代を裏付けるとのことである。
金龍寺の横を通る西宮街道を挟んで阪神競馬場があるが、戦前はここは川西航空機宝塚製作所があったところで、この工場に通う従業員のための今津線の駅がお寺の横にあったそうである。また、この工場を狙った空襲があり、多くの死者が出たこともあったことなど現在の佇まいからは想像も出来ない。
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[参考資料] 『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行 |
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金龍寺山門。土塀が新しいのは阪神淡路大震災の際に遭った被害を修復した物と思われる。 |
本堂と庫裡が一体となっている。
移築後、350年以上も経つ建物だが、見たところ先の阪神淡路大震災では壊滅的な 被害は受けていないようだ。 |
 |
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金龍寺鐘楼 |
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五輪塔は金龍寺中興の宝洲尊者の墓と伝わる。 |
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摂津八十八ヶ所霊場 |
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[2006年2月18日参拝] |
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