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甲山神呪寺 所在地:西宮市甲山
最寄駅:阪神本線「西宮」下車、循環バス鷲林寺線で、「甲山大師」下車
神呪寺(かんのうじ)は通称「甲山(かぶとやま)大師」と呼ばれており、その開基は、828年(天長5年)淳和天皇第4后であった真井御前が霊山甲山に入り、満3年の修行を経た831年(天長8年)、弘法大師より剃髪をうけ、如意尼と名乗り、本堂を落慶したと伝わる。
 その後、栄枯盛衰を繰り返したが、寺伝「神呪寺縁起」では寿永年間(1182〜5年)に源頼朝梶原景時を奉行として、荒廃していた諸堂を再建したとある。この時に再興された堂宇も戦国時代の兵火で荒廃し、特に1577年(天正5年)織田信長荒木村重を攻めた時には多くの堂宇が焼失した。
 現在の本堂は江戸時代の再建であるが、1594年(文禄3年)太閤検地により、寺領の大半が没収され、1599年(慶長4年)住僧は甲山から下りて寺領の神呪村(神尾村:甲山の東側、現在の上甲東園あたり)に移住している。 歴代住職の長年にわたる復帰運動があり、甲山の帰属をめぐり近郊の5ヵ村と論争が発生したが、1725年(享保10年)寺側の言い分が認められた。現在地には宝暦5年(1755年)に堂宇を移築したと伝わる。

[参考資料] 『法燈1173年の甲山神呪寺』 神呪寺パンフレット
         『日本歴史地名体系』(兵庫県の地名編) 平凡社
神呪寺仁王門 神呪寺参道
仁王門は1804年(文化元年)の建立。仁王門をくぐると本堂まで、一直線に参道(階段)が伸びている。
本堂の後ろの山は海抜309mの甲山。甲山は西宮市のほぼ中央に位置し、西宮のシンボル的存在である。
神呪寺本堂 神呪寺大師堂
大師堂。1921年(大正元年)の上棟。
現在の本堂は1841年(天保11年)の再建。
本尊の「如意輪観音像」は弘法大師が如意尼の姿を模して作ったものと伝えられている。実際は10世紀末から11世紀初め頃の作品と見られ、国の重要文化財。
安置されている「弘法大師坐像」は弘法大師58歳の姿と伝えられ、甲山大師(厄除大師)として広く信仰を集めている。大師像は鎌倉時代の作とされ国の重要文化財に指定されている。


甲山への登山口
神呪寺多宝塔
甲山への登山口。甲山は神功皇后が平和を祈願して金の兜を埋めたと伝わる。
また、山の形状が昔の兜の形に似ている所から、甲山との名が付けられたと言われる。
1970年(昭和45年)山頂の東部より銅戈が偶然発見された。出土した場所からみて、祭祀的な埋納と思われれ、神功皇后の話も真実味が加わった。 多宝塔。この「多宝塔」は神呪寺が開創されてから1150年目にあたる1980年(昭和55年)の落慶。
本尊として大日如来が祀られている。
ご朱印
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神呪寺朱印-1 神呪寺朱印-2 神呪寺朱印-3
[2006年2月25日参拝] [2006年2月25日参拝] [2006年2月25日参拝]

寺院-161/TTL-450

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