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所在地:奈良県高市郡明日香村飛鳥
最寄駅:近鉄橿原線OR南大阪線「橿原神宮前」下車、
奈交バス岡寺前行きで「飛鳥大仏前」下車すぐ |
飛鳥寺は、588年(祟峻天皇元年)蘇我馬子が創立した日本最初の本格的寺院である。
538年(欽明天皇7年)我が国に、百済から仏教が伝わり、蘇我氏と物部氏の間で、崇仏・廃仏の争いが長く続いたが、飛鳥寺は蘇我馬子がその戦勝記念として創建。596年(推古天皇4年)に落慶したという。
はじめは法興寺といい、後に元興寺と呼ばれた。平城遷都に伴い元興寺も新都に移築された後も、本元興寺として栄えた。
旧伽藍は887年(仁和3年)と1196年(建久7年)に焼失し、室町以降は荒廃したが、1632年(寛永9年)と1826年(文政9年)に再建され現在に至っている。
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[参考資料] 『飛鳥寺略縁起』 現地説明板 |
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東側に面してある飛鳥寺山門。
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西側より見た飛鳥寺全景。蘇我入鹿首塚(一番下に写真あり)のところから望む。 |
飛鳥寺の本堂。
安置されている本尊の大仏(銅造釈迦如来坐像)は、
605年(推古天皇13年)推古天皇が鞍作止利仏師に命じて作らせたと伝わり、609年に完成した。国の重要文化財に指定されている。(下の写真)
この大仏は、日本最古の鋳造大仏で、飛鳥文化をしのぶ貴重な存在となっている。 |
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歴史や美術の教科書でおなじみの飛鳥大仏。
このクラスの寺院では珍しく、本堂内の写真が撮影可能とのことで、参拝者はカメラや携帯電話で、パチパチとやっていた。(私のその1人)
この仏像が何故、国宝でなく重要文化財かというのは、過去二度の火災により、顔の一部、左耳、右手の中央の指3本だけが当時のまま残り、後は補修されているため。しかしその価値は国宝以上であるとのご住職の説明であった。 |
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境内にある塔心礎石。1956年(昭和31年)の発掘調査で、地下3mのところに埋められていた。
飛鳥寺はこの塔を3つの金堂が囲む特異な伽藍配置であった。 |
境内に建てられている松瀬青々の句碑。
『ましまして 斗帳に花の 主かな』、1961年(昭和36年)倦鳥会建立。
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飛鳥寺の西門を出たところにある蘇我入鹿の首塚。
入鹿は645年(大化元年*注)6月12日飛鳥板蓋宮で中大兄皇子や中臣鎌足らに暗殺され、打ち落とされた首がこの地まで飛んできたと伝わる。
この5輪塔はその様式から南北朝時代のものと見られるとのことである。
後方は甘樫丘。最近丘の東麓で、蘇我入鹿の邸宅跡と思われる遺跡が発掘され、大きな話題となっている。
(*注:年号が大化となったのはこの事件後のことである。) |
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新西国33ヶ所霊場 |
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[2006年4月12日参拝] |
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