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所在地:奈良県高市郡明日香村橘
最寄駅:近鉄橿原線OR南大阪線「橿原神宮」下車、
奈交バス岡寺前行で「岡橋本」下車、南へ約200M |
橘寺は、聖徳太子の誕生の地と伝わり、当時ここには橘の宮という欽明天皇の別宮があった。
606年(推古天皇14年)聖徳太子はこの地で勝鬘経を3日間にわたり講経すると、蓮の花が庭に降り積もるなど色々な不思議なことが起こり、推古天皇は、太子に寺院の建立を命じた。
そこで御殿を改造して造られたのが橘寺の始まりで、聖徳太子七ヵ大寺の一つに数えられている。当時伽藍は広大な境内地の中には金堂、講堂、5重塔など66棟の堂宇が立ち並んでいた。近年の発掘調査の結果からも、四天王寺式の大伽藍跡あったことが確認されている。
その後、度々の火災や兵火による焼失と再建を繰り返したが、江戸時代の初めには僧舎1棟のみであったと伝わる。
現存の本堂や観音堂は、1864年(元治元年)の再建で、往生院、聖倉殿は1997年(平成9年)の再建による。
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[参考資料] 『橘寺の創建と変遷』 橘寺パンフレット |
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橘寺山門(東門)に通じる階段(左側の写真)とその東門(右側の写真)。 |
本堂(太子殿)。本尊は聖徳太子勝鬘経講讃像(室町時代:国重要文化財)。
本堂には田道間守(たじまもり)像が祀られているが、
田道間守は今から約1950年程の大昔、11代垂仁天皇の命により、常世国(とこよのくに)に不老長寿の薬を求め、旅立った。10年の長い間秘薬を捜し求め、「非時(ときじく)の香果(かぐのみ)」を探しあて、帰国した時には天皇は既に亡くなっていた。この非時香果の実を当地に蒔くとやがて芽を出したのが橘で、そのことからこの地を橘と呼ぶようになったと伝えられる。 |
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観音堂。
本尊は六臂如意輪漢音菩薩像(藤原時代:国重要文化財)
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旧五重塔の心礎。この塔の大きさは約38m余りと推定され、法隆寺の5重塔のほぼ同じ規模であったとのことである。 |
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境内本堂横右手にある二面石。写真は左から(左側、正面、右側から見たところ)。
飛鳥時代の石造仏で、人の心の善悪の2相を表しているといわれている。善悪共にユーモラスな顔をしている。 |
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新西国33ヶ所霊場 |
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[2006年4月12日参拝] |
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