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摩耶山 天上寺 所在地:神戸市灘区摩耶山町2丁目
最寄駅:JR「三宮」から市バス「18系統六甲道」行きで
「麻耶山ケーブル下」下車、ケーブル&ロープェーで山頂へ、
自動車道を徒歩10分
当山は646年(大化2年)孝徳天皇の勅願により、インドの法道仙人に開創されたと伝わる。
その後、弘法大師が梁の武帝作の摩耶夫人像を唐より持帰り、806年(大同元年)に納めたという。それ以来、当山の名を「仏母摩耶山」(略して摩耶山)、寺の名を摩耶夫人が昇天した[とう利天*]の名に因んで「とう利天上寺」(略して天上寺)と号するようになったとのことである。
 寺伝によると、735年(天平勝宝5年)、802年(延暦21年)、1596年(慶長元年)と度々災害に遭いながもい、その都度再建、近年では1976年(昭和51年)に火災に遭い、山頂から現在地に移転し1985年(昭和60年)に再建された。
また、天上寺は安産腹帯発祥の霊場と知られ、「腹帯のお寺」としても有名である。
注*:とう利天のとうの字は立心偏に刃。
とう利天は宇宙の中心とされる須弥山頂上にあり、中央に喜見城があり、帝釈天が止住する。その四方の峰に8天があり、合せ33天となる。摩耶夫人は釈迦の生母で、釈迦の生後7日後に没した。没して後はとう利天に転生したという。

[参考資料] 『孝徳天皇勅願寺 摩耶山天上寺』 天上寺パンフレット
         『日本歴史地名体系』(兵庫県の地名編) 平凡社
天上寺下の門 天上寺上の門
自動車道に面した門(左側の写真)の階段を登りつめると右の写真の門がある。
天上寺本堂。
本尊は十一面観音は釈尊が42歳の時に自ら感得した1寸8分の秘仏で、法道仙人が請来したと伝わる。
天上寺本堂
天上寺摩耶夫人堂 摩耶夫人像を祀る摩耶夫人堂。2002年(平成14年)の再建。
奉安されている摩耶夫人像は1989年(平成元年)に
造り直されたもの。
天竺堂 天上寺鐘楼
下の山門をくぐって階段を登って行くと左手にある天竺堂。インドから贈られた大理石で造られた仏母夫人摩耶像が安置されている。この像は関西在住のインドの人たちの発願と浄財により1979年(昭和54年)に建立された。 鐘楼は1989年(平成元年)の再建。
梵鐘は鐘の表面に、四季の花33種と添え花及び宝相華で鋳出されている。

蕪村の句碑 阿波野青畝の句碑
境内には多くの句碑が建てられている。左の句碑は与謝蕪村の句「菜の花や月は東に日は西に」。この句は蕪村が摩耶詣の帰途、摩耶山の中腹辺りで想を得て呼んだ句と伝えられる。
右の句碑は阿波野青畝の句「なつかしの濁世の雨や涅槃像」
ご朱印
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天上寺朱印-1 天上寺朱印-2 天上寺朱印-3
[2008年3月13日参拝] [2008年3月13日参拝] [2008年3月13日参拝]

寺院-212/TTL-616

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