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史 跡
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酒君塚古墳 所在地:大阪市東住吉区鷹合2丁目 「酒君塚公園」内
最寄駅:近鉄南大阪線『針中野駅』下車、西側の線路沿いを南へ。広い道を渡り、3つ目の辻を西へ約200m。
『日本書紀』仁徳天皇43年条に「甫めて鷹甘部を定む。故、時人 、其の鷹養ふ処を号けて、鷹甘邑(たかかひのむら)と曰く」あり、依網屯倉(現住吉区松原市、堺市北区に広がる地域)の阿弭古(あびこ)が捕らえた鷹を天皇に献上したところ、天皇はこれを百済の酒君(さけきみ)に授けて飼いならさせ、鷹甘邑を定めた。鷹合の地名は鷹飼部が鷹を養育したところに因むという。
 この酒君塚は、江戸時代中頃に成立した『摂津志』によれば、「住吉郡鷹飼部第宅の古墳、鷹合村にあり。また、鷹甘部の墓あり、今平塚と称す。」とあり「鷹甘部の墓」あるいは「平塚」と呼ばれていた。
近年の発掘調査の結果、上部を削られ低くなった古墳(長径35m以上、高さ2m前後)に江戸時代の終わりから明治時代のはじめに盛土をして、墳丘状にしたものであることが判明。また、古墳から出土したから、円筒埴輪から築造時期は4世紀末で、田辺古墳群では最も古い古墳であることも明らかになった。
 酒君塚古墳は、御勝山古墳に次ぐクラスの平野川に至る駒川・今川水系の首長墓であり、田辺古墳群の被葬者の頂点に立った倭王権とも関わりの深い人物であったと推定される。
[参考資料]『現地案内板』大阪市教育委員会、『日本歴史地名体系』大阪府編 平凡社
酒君塚公園入口 酒君塚古墳全景
酒君塚公園の入り口。この通を登っていくと古墳の頂上に出る。 酒君塚古墳(木が茂っているところ)全景。
古墳の頂上に建つ石碑 古墳の頂上に建つ石碑
古墳の頂上には大きな石碑が建っている。 頂上に立つ石碑は、1901年(明治34年)に建てられたもので中央に大きく『酒君塚』、左下に「正四位男爵国見□□」と、題字の筆者の署名が刻まれている。

史跡-200/TTL-768

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