|
所在地:
国分寺跡:大阪市天王寺区国分町 「国分寺公園」
国分尼寺跡:大阪市東淀川区柴島町 「法華寺」 |
741年(天平13年)聖武天皇の勅願によって国ごとに国分寺と国分尼寺が置かれ、東大寺を総国分寺、法華寺を総国分尼寺とした。国家の宗教的統率力によって地方政治の確立、地方文化の開拓に力を入れようとしたものと推測され、その跡は各地に遺存する。
摂津国の国分寺跡は大阪市天王寺区国分寺町、国分尼寺跡は大阪市東淀川区柴島町に在ったと推定され、各々現地に石碑が建てられている。
全国的に見て、国分寺と国分尼寺のある場所はそう遠く離れていない所にあるのが殆どだが、何故か摂津の2つの寺は直線にして約9Kmも離れている。
この天王寺区国分寺町のほか、大阪市北区にも国分寺という地名があり、その起源は659年(斉明天皇5年)までさかのぼり、741年(天平13年)聖武天皇の詔勅により、「長柄国分寺」と称するようになったという「国分寺」が存在する。
国分尼寺跡には礎石が遺されており、国分尼寺の存在は動かし難いと思われ、この寺から長柄国分寺までは約2.5Kmしかなく、この2つの組み合わせ方が距離的にもしっくり来るものがあるが、長柄国分寺が認められないのは、それを裏付ける文献の類もなく、また、土の中から何も出てこないことにあるのかもしれない。しかし、地名が残り、国分寺という寺が存在するのは、何か関連があると思わざるを得ない。
|
[参考資料] 『現地説明板』 |
|
所在地:大阪市天王寺区国分町
最寄り駅:JR環状線「寺田町駅」下車、北へ約400M |
|
大阪市天王寺区国分寺町「国分寺公園」内に「摂津国分寺跡」の碑が建っている。
この地域は昔から国分寺の名を伝え、奈良時代の蓮華文や唐草文の軒瓦を出土したこともあって、古来摂津国分寺跡と推定されている。
|
「摂津国分寺」の推定地は現在児童公園になっており、石碑は奥の木下に建っている。
この公園の道を隔てた向かいに「国分寺」というお寺があったが、聖武天皇の勅願の「国分寺」とは関係があるとは思えない近代的な雰囲気だった。 |
|
|
所在地:大阪市東淀川区柴島町 「法華寺」
最寄り駅:阪急千里線「柴島」下車、東へすぐ |
|
大阪市東淀川区柴島町の「法華寺」の門前の傍に
「摂津国分尼寺伝承地」の石碑が建ってている。
法華寺は摂津国分尼寺の法灯を継ぐといわれ、元はここから程近い柴島浄水場付近にあったが、1914年(大正3年)に浄水場拡張に伴い、現在地に移転した。
山門の向かって左側に石碑が
建っている。 |
法華寺境内にある「国分尼寺」のものと伝わる礎石。
国分尼寺の創建当初は広大な寺域を有し七堂伽藍、舎利塔なども構えていたといわれる。
その後長く衰退してたが、1406年(応永13年)禅宗の寺として再建された。
1914年(大正3年)浄水場拡張に伴い、当時のものと思われる礎石とともに現在地に移転している。 |
|