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史 跡
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秦 河勝の墓 所所在地:大阪府寝屋川市川勝町
最寄駅:京阪「寝屋川駅」より、京阪バス「三井団地行き」で「観音橋」下車、寝屋川沿い東へ約200M、案内板に従い左手住宅地に入る
6〜7世紀に聖徳太子を補佐し活躍したと伝わる秦河勝の墓が、秦山と呼ばれる寝屋川北岸の丘陵上にある。墓は中央に高さ2mあまりの五輪塔が立てられており、地輪の四面に秦河勝の事跡や五輪塔建立の経緯などが400余字で刻まれているらしいが、ほとんど解読できない。参考資料などによると、五輪塔は1649年(慶安4年)に再建されたもので、それ以前には立派な塔が建てられていたが、豊臣秀吉による文禄堤築造のとき持ち去られ、後に秦氏の子孫が修復したとのことである。
 秦河勝といえば、京都・太秦の広隆寺を建立したとして有名であり、京都が本拠地と思われがちであるが、広隆寺の記録などからも寝屋川市のこの地が本拠地という説が有力らしい。
この墓のある周辺の町は秦氏ゆかりの土地らしく、川勝町・秦(はだ)町・太秦(うずまさ)といった地名が現在でも使われている。
又、大阪八尾市にも秦河勝が建立したといわれる寺院がある。
[参考資料] 『大阪府の歴史散歩』 山川出版社
秦川勝の墓-1 秦河勝の墓は住宅地のど真ん中にあるが、住宅地の手前にお寺の大きな墓地があり、間違ってそちらの方に入ってしまった。秦河勝の墓は周りを住宅に囲まれた40坪ほどの空間が残されておりその中にあった。
五輪塔南側に一対の石灯篭が立てられているほか、五輪塔の北東側には「正六位上兼右近衛府生秦武文」と刻まれた方柱状の塔が立っている。 秦川勝の墓-2
加茂神社 秦河勝の墓のある場所から川(寝屋川)を挟んだ対岸にある加茂神社。秦氏ゆかりの神社だということだが、神社というより祠といった風情の造りであった。

史跡-006/TTL-103

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