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所所在地:大阪市天王寺区六万体町 「吉祥寺」墓地
最寄駅:地下鉄谷町線「四天王寺前」下車、谷町筋を北へ、
東側にあり |
吉祥寺は万松山と号し、1630年(寛永7年))創建の曹洞宗の寺院である。創建当時の住職縦鎌師が
赤穂藩主浅野主匠頭長矩(あさの たくみのかみ ながのり)と親しい間柄で、この寺は大坂における浅野家の菩提寺であった。長矩候は参勤交代の折には必ずこの寺院に立寄ったという。
義士討ち入りの翌年2月、大石内蔵助をはじめとする46士は切腹したが、足軽の寺坂吉右衛門が46士の遺髪、遺爪、鎖かたびら等に銀10両を添えて義士の冥福を祈る碑を建ててくれるよう吉祥寺に依頼したもので、浅野本家広島藩の意向もあり、江戸や赤穂よりも先がけ、1739年(元文4年)建立されたという。
しかし、1945年(昭和20年)3月の大阪大空襲で堂宇をはじめ長矩候揮毫の扁額や義士の遺品など全て灰燼に帰し、残るのは墓石のみであった。
この寺の山門は元は中之島常安橋北詰にあった赤穂藩蔵屋敷門を移築したものであったが、戦災で焼失したため、現代的にして再建したとのこと。
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[参考資料] 『墓標の由来 大阪名所義士の寺 万松山吉祥寺 』 現地解説板 |
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谷町筋に面した吉祥寺。
映画やテレビでお馴染みの赤穂義士が討ち入りに時に着た火事場装束のだんだら袖の模様が塀に描かれており、否が応でも義士に関係ある寺院だと分かる。 |
墓の中央の五輪塔は浅野内匠頭長矩候の墓。
その右隣に大石内蔵助の墓、左側が大石主税の墓がある。更にその周囲を44士の戎名と行年を刻んだ玉垣が取り囲んでいる。 |
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境内にある赤穂47士の討ち入り姿の群像。
2002年(平成14年)12月、義士討ち入り300年を記念して建立された。 |
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06年11月の初め、吉祥寺の前を通りかかり、境内を見ると正面には前回訪問のとき無かった大石内蔵助の像があった。
聞けば2年程前に中国で制作され、新たに設置されたとのこと。全長(台座も含め)2.5m以上は優にある大きな像である。 |