例年、年末が近づくとテレビでは「忠臣蔵」がドラマ化されたり、映画の旧作が放映されたりする。今年(2004年)もNHKと民放の競作で「忠臣蔵」のドラマが始まった。
江戸の昔から、歌舞伎の世界では『ネタに困れば、忠臣蔵』といわれ、映画の世界でもこれが当てはまっていた。戦後の昭和20年代の後半から30年代にかけ、毎年のようにどこかの映画会社が、「忠臣蔵」や「赤穂義士」を製作していたのを思い出す。主演の大石内蔵助役には東映映画は片岡知恵蔵か市川右太衛門が変わり交代で演じ、大映は長谷川一夫、東宝は松本幸四郎等々が演じていたが、娯楽の少ない時代、正月にこれらの映画を見るのは大きな楽しみであった。40年代に入り、舞台はテレビに移り、観客動員数から、視聴率へと物差しは変わったが事情は同じようである。
何が、日本人をここまで引き付けるのであろうか。赤穂義士の討ち入り事件は太平だった「元禄の世」を揺るがす大事件であった。江戸時代より、義士研究や評伝の類は数知れず著されており、語りつくされているので、素人の弁は避けるが、この仇討事件が起きた時代背景に加え、道義(幕府の片手落ち裁きへの抗議)、武士道の本分である主君に対する忠孝、親子・夫婦の別れ、義士達の団結、大石内蔵助のリーダーシップ、艱難辛苦に耐え、本懐を遂げての切腹など、ドラマとなる要素が凝縮されており、世情の人の同情をかってきたには違いない。
余談だが、1964年(昭和39年)NHKが長谷川一夫の大石内蔵助で大河ドラマの第2作目に「赤穂浪士」を製作しており、芥川也寸志作曲のテーマ音楽のスリッパを叩いたような効果音と共に、大石内蔵助が最後の切腹場面で「おのおの方、お先に」と言うセリフが当時の流行語となった事など、記憶に残っておられる方も多いのではないだろうか。
表題の赤穂義士の墓といえば、本墓は勿論、東京都港区泉岳寺にあるのはご承知の通りであるが、大阪にも赤穂義士の墓がある。大方の人には初耳と思われるが、これらの墓は
義士にゆかりの人々がそれぞれの供養のために墓を建立しており、ここではそれらの墓を訪ねて見たい。 |