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所在地:
箕面市萱野3丁目
最寄駅:阪急箕面線「箕面」から阪急バスで「千里中央」行き、
「萱野三平」下車、南へ約100m
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萱野三平は、名は重実といい、三平は通称名である。1675年(延宝3年)萱野郷の郷士、七郎左衛門重利
の3男として生まれた。父が仕えていた、旗本大嶋出羽守義近の推挙により、1687年(貞享4年)13歳のとき、赤穂城主浅野内匠頭長矩の中小姓となった。
1701年(元禄14年)長矩が起こした殿中での刃傷事件で、赤穂城明渡し後は、一旦萱野郷に帰り、 仇討ちに参加すべく江戸に下ることを決意したが、 大嶋氏に迷惑をかかることを心配した父重利の反対を受け、内匠頭への忠義と父への孝行のはざまで苦しみ、1702年(元禄15年)当邸の自室で自刃した。28歳であった。
三平は討入りには参加できなかったが、事件の後成立した『仮名手本忠臣蔵』では5・6段目の早野勘平として取り上げられるなど、その死に至った経過は世人に大いに同情された。
涓泉(けんせん)という俳号を持ち、『勝尾寺の 庇間寒し 茨の花』など、多くの句を残している。
この旧邸は地元自治会の尽力により保存継承され、1973年(昭和48年)大阪府の史跡指定を受け、1992年(平成4年)箕面市に寄贈されている。
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[参考資料] 『現地解説板』 箕面教育委員会 |
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旧邸は旧西国街道に面しており、白壁の長屋門が、昔の面影をそのまま留めている。 |
正面の入口に建つ「萱野三平邸址」の石碑。 |
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長屋門の内側から見て左端の部屋は、三平が切腹した部屋と伝わる。 |
上記写真の長屋門を内側から見たところ。 |
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訪れた時(2005年4月14日)は、邸内に植えられている桜が満開であった。 |
邸内には三平の辞世『晴れゆくや 日ころ心の 花曇り』の句碑が建てられている。 |