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所在地:
新福寺:豊中市二葉町2丁目
光国寺:豊中市庄本1丁目 |
萱野三平の父七郎左衛門重利は旗本大島出羽守に仕え、所領の椋橋東庄(現豊中市南部、大島町から庄本町一帯)の代官を勤めていた。その関係もあってか、萱野家の菩提寺は旧庄本村(現豊中市二葉町)の新福寺にあり、境内の墓地に、父重利、兄七之助重通、三平重実の墓が現存する。
また、同じ庄本村(現豊中市庄本町)光国寺には三平の姉が嫁いだ縁により、供養墓が建てられている。
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新福寺 |
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新福寺は如説山と号し、境内に建てられていた碑文によると、行基菩薩の開基と伝わる。平安時代の保元・平治の乱の兵火で類焼に遭っている。 1649年(慶安2年)日芳上人が感得した自然石の鬼子母神を祀り、再興した。
1948年(昭和23年)の農地法改革や1961年(昭和36年)の道路拡張により土地を徴収され、墓地などを再整備し、現在に至っている。 |
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左側の写真は萱野一族の墓。(左より、兄、父、叔父中村又兵衛重正、三平の墓)。三平の墓(右の写真)の前には辞世の句 『晴れゆくや 日ころ心の 花曇り』と戒名「妙法陽光洞廓居士」の石碑が建てられている。 |
光国寺 |
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光国寺の本堂は先の阪神大震災で被害を受け修復されているが、もとは1751年(寛延4年)に茅葺から瓦葺に葺き替えられたという古い建物で、 その時の鬼瓦が本堂脇に展示してあった。 |
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三平の墓は本堂の前の1段高く囲った場所に建てられている。墓石には「妙法陽光洞廓之墓」と戒名が刻まれている。右の大きな碑「萱野三平の碑」 は当時の大阪府知事左藤義詮の揮毫により、1966年(昭和41年)に建てられた。裏側には三平の辞世の句『晴れゆくや 日ころ心の 花曇り』が彫られている。 |