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史 跡
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道真の足跡へ
三本松天神社跡 所在地:摂津市鳥飼西1丁目
最寄駅:阪急茨木東口より「鳥飼循環」、「鳥飼西3」下車、バス通り
を戻る、二つ目の信号右に入る。願正寺の横を抜けると堤防に出る
堤防沿いの自動車道を西に行ったところに有り
901年(昌泰4年)2月、九州の太宰府に左遷された菅原道真が赴任の途中、ここ鳥飼の地に船を着け食事の後、自ら楊枝を植え、この木が生育することを願い旅立った。その後、この楊枝から枝葉が生じ根元から生えた松が繁ったので、村人はそこに神社を作ったといわれる。
 「摂津名所図絵」には『管公筑紫御下向の時ここに船をよせ給ひし旧跡なり。この村に下り松、義経松、踊り松とてあり』と記されており、この三本の松から「三本松天神社」の名が起こったとされている。
 当神社は(明治41年)隣村の藤森神社と合祀され廃社となり、鳥居だけが残っていた。現地の案内板によると、この神社の跡地も1961年(昭和36年)の淀川堤防改修で境内が削り取られ、残された鳥居も、1983年(昭和58年)には一部補修し、中真神社というところへ移転したとのことで、現在地には神社があったことを示すのはこの立て札以外には何もなかった。

[参考資料] 『現地説明版』 摂津市文化財保護審議会・摂津市教育委員会
三本松天神社跡 堤防下の自動車道路のガードレールの外側に「三本松神社跡」の案内板がある。後ろの松の木は、現在は個人の家の庭と思われるが、手入れが行き届いており、案内板にふさわしい風情がある。
三本松神社跡の所から淀川の堤防をしばらく上流に向かって歩いて行くと、堤防に面して、大きな鳥居が建っていた。(地名は鳥飼下3丁目)
神社名の額などは取り払われており、藤森神社のものか、三本松神社のものか、それ以外に廃社になった神社があったのか詳細は不明。
鳥居の柱には『延享2乙丑年3月 米屋三郎兵衛安時』
(1745年)とあり、鳥居の手前の石灯篭は『宝暦3癸酉年3月 願主岩田氏』(1753年)と刻まれている。
神社名が不明の鳥居
千本つきの唄の碑 上記の写真を撮った堤防の近くに「千本つきの歌」の碑が建っていた。
歌の内容は「千本つきには調子がござる。足と手と口三拍子」とあり、碑文の説明では千本つきというのは護岸工事のとき使用された土手を固めるため使用した杵のことで、付近の農民たちが、労働者として参加し、この歌を歌いながら工事を行ったとのことである。
淀川の堤防から対岸を望む
堤防からの眺望はのどかな風景が広がっている。淀川を挟んで,見える山並みは生駒山系。右よりの一番高い山が生駒山。

史跡-028/TTL-169

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