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所在地:
長州藩蔵屋敷跡:大阪市西区土佐堀1丁目
佐賀藩蔵屋敷跡:大阪市北区西天満2丁目
小城藩蔵屋敷跡:大阪市北区西天満2丁目 |
大坂の蔵屋敷は、全国の流通の拠点であり、天下の台所を標榜する大坂の象徴でもあった。
中之島および堂島の周辺に建てられた蔵屋敷の数はピーク時には124にも及んだということであるが、現在その所在を表わす石碑などが建てられている数は10ヶ所にも満たない。
中之島一体は公共施設が多くあり、大阪市役所を始めとし、、日本銀行大阪支店、府立図書館、中央
公会堂等々、それらの建物の建っている位置は殆どが、蔵屋敷であったはずである。しかし、これ等の
建物の周辺には、かって蔵屋敷があったことを示すものは何も無いのは残念なことである。
大阪経済の地盤沈下が云われて久しいが、かっての経済都市大坂の賑わいを取り戻すためにも、日
本の流通を一手に引き受けた蔵屋敷の原点に戻るべきではないか。その意味からも、お役所が率先して、石碑を建て、かっての蔵屋敷の存在をアピールして欲しいものである。
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[参考資料] 「現地解説碑」など |
長州藩蔵屋敷跡 |
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土佐堀通りと浪花筋が交差する北東角に「長州萩藩蔵屋敷跡」の碑がある。
碑文によると、1863年(文久3)の七卿落ちの際、三条実美らもこの蔵屋敷で一夜を明かしたと伝えられる。
碑の後ろ側からなにわ筋
と土佐堀通りを望む。 |
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佐賀藩蔵屋敷跡 |
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大阪市北区西天満4丁目、大阪高等裁判所の外周、植え込みの中に「佐賀藩蔵屋敷跡」の碑が建っている。
この写真を撮っていると、ガードマンより、「塀の中を撮るには裁判所の許可が要る」との注意を受けた。
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小城藩蔵屋敷跡 |
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上の高等裁判所の道を隔てた向かいに「肥前佐賀県小城藩蔵屋敷跡」の碑が建てられている。
石碑の側面に、「小城藩は鍋島藩の支藩で幕末の騒乱の時は本藩と従い、維新の鴻業に参加した」とある。
これは小城藩の説明で、あまり蔵屋敷の説明にはなっていない。 |