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所在地:大阪市西成区太子2丁目 松乃木大明神内
最寄駅:地下鉄「動物園前」下車、「動物園前1番街」を南へ約300M、西に入る
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大阪市西成区にある「松乃木大明神」内に近松門左衛門を顕彰した大きな碑がある。
この碑は元は現在の天王寺公園内に1897年(明治30年)室上小三郎なる人が発起人となり、建てられたが、1903年(明治36年)に天王寺公園を会場と して第5回内国勧業博覧会が開かれるため、室上小三郎が許可を得て、1901年(明治34年)現在地に移している。
明治の時代に個人のレベルで、近松門左衛門を顕彰しようとした人がいたことは、お役人に頼らない大阪人の意気込みが感じられる。
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[参考資料] 『大阪市西成区ホームページ』 |
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松乃木大明神は住宅地に囲まれるようにしてあり、ちょっと見つけ難い場所にあった。
路地の突き当たりに見える鳥居(左側)と境内にあった「薬師如来堂」。神社の中に仏様が祀られているのは、珍しい。 |
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裏側には近松の辞世文が刻まれていた。
別の資料などによると、「それよ辞世 さるほどに さてもそのゝちに 残る桜が花しにほはゞ」と彫ってあるらしい。 |
顕彰碑は雄に3m近くもあると思われる大きな自然石で、「平安堂近松巣林子信盛碑」と彫られている。
碑の後ろに見える金網の向こうはかっては南海天王寺線が走っていたが(天王寺駅は現在のJR天王寺駅の一番南側)にホームがあったのを記憶している)、現在は廃線となっており、レールも撤去され、空き地の状態である。 |
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境内にある猫塚(左側)。この碑も1901年(明治34年)三味線の胴に張る猫の供養に、室上小三郎が発起人となり、遊芸関係者の拠金で建てたものである。碑は三味線の胴の形をしている。
神社の玉垣(右側)を寄進した人は、浪曲師と思われる人の名が目立った。 |