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史 跡
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楠木一族の足跡へ
寄手塚・身方塚 所在地:南河内郡千早赤阪村
最寄駅:近鉄長野線「富田林」から金剛バス「金剛登山口」、「千早ロープウエイ前」行で「森屋西」下車。
千早赤阪村森屋地区の丘陵地に当字の共同墓地があるが、その中に楠木正成が建武中興成就後の1331〜3年(元弘元〜3年)赤坂・千早の合戦で戦死した人々の霊を弔うために、建てたと伝わる五輪塔がある。
 地元の人たちは、これらの塚が、「敵」という字を用いず「寄手」としていること、さらに「身方塚」より「寄手塚」の方が大きいことなどを上げ、楠公の奥ゆかしさを偲ぶ証としている。

[参考資料] 『千早赤阪の史跡』 (社)千早赤阪楠公保存会
寄手塚 寄手塚五輪塔。
現地の千早赤坂教育委員会の説明板によると、「葛城山付近から産出される角閃石黒雲母石英閃緑岩を使用。総高182cm。造立時期は鎌倉後期と考えられる。」とのことであり、
『大阪府文化財保護条例』による「有形文化財」の指定を受けている。
身方塚五輪塔。
現地説明版では「黒雲母花崗岩を使用し、総高137cm。造立時期は南北朝時代前半と考えられる。」とのことである。
『大阪府古文化記念物等保存顕彰規則』という大変長い名前の条例で「重要美術品」の指定を受けている。
寄手塚が文化財で、身方塚が何故美術品なのか?
ちょっと理解に苦しむところである。
身方塚

史跡-118/TTL-488

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