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所在地:和泉市桑原
最寄駅:南海本線[泉大津]下車、南海バス「父鬼」行きで「桑原」下車すぐ |
雷がゴロゴロと鳴り出した時に、自分の所に落ちないための呪文であり、転じて恐ろしいことが起きた時に身に降りかかる災難を除けるための呪文である「クワバラ・クワバラ」の語源の元となった場所が、和泉市内にもあった。和泉33ヶ所札所の1つである成福寺を参拝した折、お寺の方から、この雷伝説のある西福寺を紹介され帰り道に寄ってみた。
この話は子供の頃何かの本で、どこかの地方の民話として読んだ覚えがあったので、地元大阪にあったとは思いもよらなかった。
因みに、ネットで検索してみると兵庫県三田市桑原 欣勝寺にも境内には雷の子供が落ちたといわれる雷井戸があり、また、長野県千曲市桑原にも菅原道真に関わる雷伝説が語り継がれているということである。全国的には桑原にまつわる話はもっとあるのかも知れない。
菅原道真が大宰府に流され、903年(延喜3年)その大宰府で亡くなった後は怨霊(雷神)となり、京都御所を始め、都の各所を襲ったとされるが、、京都府下に「桑原」と云う地名の道真の所領があって、ここだけは落雷が無かったと伝えられており、これも「クワバラ・クワバラ」の語源の1つとされている。
これらの伝説はいずれも桑原という地名が関係しており、この地が他に比べ落雷の数が極端に少なかったことなどから生まれたものと思われるが、和泉の「クワバラ・クワバラ」は何時の時代から語り伝えられているのであろうか、願わくば、和泉の伝説が全国に広がって行ったと実証され、「元祖」という言葉を頭につけて欲しいものだ。
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[参考資料] 『現地説明板』 西福寺 |
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バス停からは西福寺の全景が望まれる(左側)。右側の写真は本堂。
西福寺の創建は奈良時代に遡るが、鎌倉時代に東大寺の大仏再建をした俊乗坊重源がこの西福寺も中興再建したと伝わる。 |
雷が落ちたと伝わる井戸。
傍らの立札には和泉市に伝わる民話が書かれてあった。
「むかし、この井戸に雷落ちけり。井戸より這い上がらんとする雷を老婆井戸の上に石のふたをおおふて雷を責むることやや久し、雷大いに苦しんで誓って曰く、『永々、此地に落ちることなし』といいければ、石のふたを取りて、ゆるしてやりぬ。それより、この地に雷落ちることなし。雷鳴のとき『桑原、桑原』と云うはこのいわれによると。」 |
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本堂の前に建つ「重源上人頌徳句碑」。
『南無俊乗 和泉の母よ 水仙花』。
1948年(昭和43年)第203代東大寺管長狭川明俊大僧正が詠んだ句を翌年に頌徳句碑として建立された。
句に詠まれている水仙はわが国で初めて俊乗坊重源が中国より持ち帰り、この桑原の里に栽培方法を教えたと伝わる。水仙は和泉市の「市の花」にもなっている。 |