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史 跡
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近松ゆかりの地へ
おさん・茂平恋道中碑 所在地:茨木市山手台4丁目
最寄駅:JR東海道線「茨木」OR半球京都線「茨木市」下車、阪急バス「茨木サニータウン」行「幼稚園前」下車、すぐ
茨木市を北に抜ける府道114号線と平行して走るニュータウン(茨木サニータウン)内の幹線道路沿いに「おさん茂平恋道中碑」が建てられている。
 この府道114号線はかつて能勢妙見山参詣の善男善女で賑わった摂津より丹波に通じる街道で、現地の解説板によると、街道は国見峠から国見念仏橋を渡り、多留見峠を経て、妙見山にいたる「妙見街道」であった。
 国見峠にまつわる話として、当地に語り継がれている話は「大阪小町とうたわれた美人で京都の商家に嫁いだおさんは丹波から奉公人としてきた美男子茂平にすっかり身も心も奪われた。当時、姦通すれば引き廻し罪という重罪に問われた。これを逃れるため当地まで逃げてきたが所詮かなわぬ恋であると2人は相抱き、心中を果たしたという伝説の地である」という。
 実際に起きたこの事件を、井原西鶴が『好色五人女』で、近松門左衛門が『大経師昔暦』で、それぞれ取り上げている。
 近松三大姦通物の一つ『大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)』は1715年(正徳5年)初演。
京都四条烏丸の大経師以春の女房おさんが、誤って番頭茂兵衛と通じ、不義密通の濡れ衣を着せられ、2人は丹波の柏原まで逃げたが、身を隠した家の家主の裏切りで追っ手に捕われてしまう。
 二人が京の東の粟田口の処刑場に送られる途中、おさんの父親道順の知り合いの東岸和尚にその法衣のもとに救われるという、結末は実話の心中とは180度異なるハッピーエンドで締めくくられる。

[参考資料]  『現地解説板』 茨木市
おさん茂平恋道中碑-1 おさん茂平恋道中碑と解説板。
ニュータウンの一角に碑は建てられている。
おさん茂平恋道中碑-2 おさん茂平恋道中碑-3
恋道中碑には「南無妙法蓮華経」と刻まれている。横の小さな石碑は道標。 恋道中碑の側面。道標になっている。
長ヶ淵1号古墳
 恋道中碑のある場所の一角に移築されている長ヶ淵古墳1号墳(左側)と初田古墳(右側)。茨木サニータウンの開発中に発見。
 長ヶ淵1号墳は7墓発見された内の1基を移築。7世紀始め頃に築造。12世紀頃に再利用されている。
初田2号古墳は横穴式石室で発見当時、盛り土が残存しており、乾漆を塗った木棺片や銅製の釘などが出土した。
 7世紀始め頃に築造。出土品から三回以上埋葬が行われたと見られる。墓が造られると言うのは相当身分の高い人と思われるが、これが再利用されていたとは興味深い話である。

史跡-143/TTL-538

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