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所在地:八尾市山畑
最寄駅:近鉄信貴線「服部川」下車、山手の方へ約10分 |
俊徳丸は、謡曲『弱法師(よろぼうし)』、人形浄瑠璃・歌舞伎で上演される『摂州合邦ヶ辻(がっぽうがつじ)』、等で有名な伝説上の人物であるが、その俊徳丸の塚と伝わるところが、出身地とされる八尾市山畑地区に存在する。
俊徳丸の物語は室町時代には広く流布されており、その成立は鎌倉時代と推測される。
この塚が俊徳丸を葬ったとすれば、その時代のものの筈であるが、現地の説明板によるとこの塚は横穴式石室を持つ6世紀の古墳であるとのことで、時代が全く合わない。
いつの時代からこの古墳が俊徳丸伝説と結びついたのか分からないが、俊徳丸伝説が全国的に有名になるに伴い、後世の人がここ高安地区に数多く見られる古墳群の中の1つを俊徳丸の墓に引き当てたと思われる。 |
[現地解説板に書かれていた俊徳丸物語](説教節「しんとく丸」に沿った話となっている)
この高安の里の信吉長者の子であった俊徳丸が、継母に呪われて失明し、四天王寺の境内で物乞いの生活をする身となった。 ところが以前、四天王寺で舞楽童を務めた俊徳丸を見初めて恋仲となった同じ里の蔭山長者の姪がこれを聞いて観音に祈願したところ病はなおり、2人は晴れて夫婦になったという。
・広辞苑には
「謡曲 弱法師」:観世元雅作。讒言で父高安通俊に家を追われた俊徳丸が、盲目の弱法師となって四天王寺をさまよう。
「浄瑠璃 摂州合邦辻」:菅専助ほかの合作の時代物。1773年(安永2年)初演。能の「弱法師」や説教節「愛護の若」の流れをあわせたもの。青砥藤綱の子合邦の娘玉手御前が、わが身を殺して継子俊徳丸を悪臣の危難から救う。後に歌舞伎化。通称「合邦」。
とあり、物語りにより俊徳丸以外の登場人物が若干異なる。
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[参考資料] 『現地説明板』 八尾市、八尾市教育委員会、八尾市郷土文化推進協議会 |
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「俊徳丸鏡塚」は服部川駅から山手に向け10分ほど歩くと、住宅地の一角にある。
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古墳は石室部分の横穴がぽっかりと口を開けている。 |
古墳の入り口のところに「俊徳丸鏡塚」の石碑と実川延若と名が刻まれた焼香台があった。 |
所在地:大阪市浪速区下寺3丁目 |
合邦が辻閻魔堂は聖徳太子の開基と伝わり、太子が物部守屋と仏法の論争を行った場所でもあると言う。
創建以来幾度の兵火に罹り大伽藍は焼失したが辻堂として民衆の信仰を集め、現在に至っている。 |
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合邦が辻閻魔堂は現在は融通念仏宗西方寺の境内の一角に祀られている。
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国道25号線と松屋町筋が交わるところが合邦が辻と呼ばれる。閻魔堂は陸橋の向こう、オレンジ色のビルの手前にある。 |
所在地:大阪市天王寺区 |
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四天王寺は説教節「しんとく丸」や謡曲「弱法師」では重要な舞台でもある。 |
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右の西大門の前に建つ見真堂の一角に謡曲「弱法師」の解説板が立てられている。 |
四天王寺極楽門(西大門)。
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所在地:東大阪市荒川 |
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東大阪市を東西に横断する府道24号は通称「俊徳道」と呼ばれる。この呼び名は俊徳丸が高安から四天王寺へ通った故事に因んでいるが、この道に沿って東に行けば、八尾市高安よりもかなり北の東大阪六万寺町に至る。 |
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近鉄大阪線「俊徳道」駅のホームから大阪市生野区の方向を望んだ俊徳道。
道路の向かって左側の町名は俊徳町。
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駅前の交差点の道路標識。
近鉄「俊徳道」駅とクロスする形でJRの新線(おおさか東線)「俊徳道」駅が08年3月にオープンする予定。
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