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京橋川魚市場跡:大阪市都島区片町1丁目
俵物会所跡:大阪市中央区北浜2丁目 |
江戸時代、大坂3大市場以外にも色々な市場があり、その跡地には石碑などが建てられているが、立ち止まって説明板を読むなど、関心を示す人は殆んど見かけられない。
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[参考資料] 『現地説明板』 |
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所在地:大阪市都島区片町1丁目
最寄駅:京阪本線「天満橋」OR地下鉄「天満」下車、東へ約300m
寝屋川橋東詰と京橋北詰の交差点 |
江戸時代、京橋川魚市場は雑喉場の生魚市場、永代浜の干鰯(ほしか)市場と共に大坂の於ける3大魚市場であった。その起源は、現地に建てられている大阪教育委員会の説明板によれば「石山本願寺の時期の設けられた鮒市場とされ、、もともとは漁民が京橋北詰に川魚を持ち寄って販売する市のようなものだったと考えられる。」としている。
「摂津名所図会」には、川魚市場といっても店頭での商いではなく、漁民たちが持ち寄った川魚を路上で取引している風景が描かれている。
また、「1741年(享保元年)に著された『京橋川魚独占販売由来記』によると、慶長年間(1596~1615年)の初め頃に、小出播磨守秀政の指示で、構成員55名、内5人を幹事である年寄とする市場機構のシステムが整えられた。
近代に入り、市が機構の変革が進む中で、京橋魚市場は明治末年には中之島6丁目付近へ移転し、1915年(大正4年)に大阪川魚株式会社が設立された。」とあり、その後、他の魚市場と同様、1931年(昭和6年)に新しく出来た大阪中央卸売り市場に吸収された。 |
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京橋北詰、しゅろの木が繁っている場所に「京橋川魚市場跡」の石碑が建てられている。 |
橋のたもとに建つ「京橋川魚市場跡」の石碑。傍らに大阪市教育委員会の説明板が建てられている。 |
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所在地:大阪市中央区北浜2丁目
最寄駅:京阪本線OR地下鉄堺筋線「北浜」下車、北浜交差点南西角 |
江戸時代、金・銀・銅などの重要な生産物については、幕府の厳しい統制化に置かれ、会所という売買センターで特定の商人しか扱うことが出来なかった。
俵物といわれるふかのひれや干しなまこ、干しあわびなどは、当時の日本の重要な特産品で、長崎から中国などに向けて輸出されていた。この俵物は輸出入の代価に用いられることもあったので、1744年(延享4年)に大坂に会所が設けられ、ここで売買が行われた。
会所ははじめ備後町にあったが、1777年(安永6年)にこの地に移り、明治まで続いた。 |
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北浜の交差点南西の角の空き地に「大阪俵物会所跡」の石碑が建っている。
金融街の中心地であり、行き交う人も多いが、この石碑に注目し、立ち止まる人は皆無に等しい。 |
堺筋を挟んで向かい側に大坂証券取引所があり、正面には明治の始め、大阪株式取引所(現大阪証券取引所)や大阪商法会議所(現大阪商工会議所)の設立に尽力した五代友厚の銅像が建つ。 |
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