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所在地:柏原市玉手町
最寄駅:近鉄南大阪線「道明寺」下車、徒歩約15分
OR近鉄大阪線「国分」下車、徒歩約20分 |
玉手山は、柏原市の南部に位置し、大和川と石川の合流点を望む低山(丘陵)である。
この玉手山山頂を含む一体は、かっては私鉄系列経営の遊園地であった。遊園地の歴史は古く、西日本最古の遊園地と言われており、創業は1908年(明治41年)にまで遡ることが出来る。
ある年配以上の人なら、学校の遠足で行ったという思い出がある方が多いだろう。
近年オープンしている遊園地に見られるような、ジェットコースターなどの大規模な遊戯施設もなかったことや、交通の便が比較的不便だったこともあり、客足が落ち1998年(平成10年)5月に閉園されたが、これを引き継ぐ形で1999年(平成11年)3月より、柏原市立「玉手山公園」(総面積・約68,000u)として甦っている。
山頂付近は4世紀の古墳群や大坂夏の陣の古戦場、俳人・小林一茶の句碑などの歴史ゾーンとなっている。
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標 高:73M
登頂日:2005年6月9日 |
25000分の1地形図名:[大和高田]
経緯:北緯34度33分41秒、東経135度37分39秒 |
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南側からの入口から山頂への道。玉手山の山頂付近は歴史の丘と名付けられている。(赤丸でマークした部分)。
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1615年(元和元年)の大阪夏の陣ではここ玉手山付近が戦場となり、5月6日豪傑後藤又兵衛は、激戦の末、片山の西方で自決した。介錯は側近の吉村武右衛門が行いその首は近くの、現片山町深田付近に埋めたといわれる。
山頂近くの広場には、後藤又兵衛(左側)、吉村武右衛門(右側)の碑が建つ。また、しだれ桜〔中央の写真:2000年(平成12年)植樹〕が植えられ、又兵衛しだれ桜と名付けられている。なお、「後藤又兵衛基次之碑」の揮毫は作家今東光の筆になる。 |
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小林一茶の句碑。1795年(寛政7年)当地を訪れた折、詠んだ2句が刻まれている。1973年(昭和48年)の建立。 |
玉手山一帯は、古墳時代前期(4世紀)の古墳群がある。玉手山丘陵上には、合計14基の前方後円墳と数基の円墳が、南北に連なって築造されている。
山頂付近には、調査の終わった古墳の石室や石棺が展示されている。 |
玉手山は一茶が訪れた当時、すでに風光明媚な景勝地として知られていた。
『初蝉や 人 松陰をしたふ比(ころ)』
『雲折りく 適(まさ)に青菜見ゆ 玉手山』
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山頂は前方後円墳(7号古墳)の後円部にあたる部分で、大阪夏の陣で戦死した両軍兵士の供養塔が建てられている。
供養塔は江戸初期・寛文年間(1661〜73年)に玉手山山腹にある安福寺住職だった珂憶上人が建立した。 |