愛情表現のしかた



「ル・・・ルルーシュ様、おやめください!」

悲鳴のようなジェレミアの声が、部屋に響いた。
ルルーシュはニヤリと暗い笑みをくちびるに浮かべて、ジェレミアをうつ伏せにして床に組み伏せている。
その瞳の光が、尋常ではなかった。
ルルーシュが尋常でないのは、瞳の光だけではない。
腕力では到底ジェレミアには及ばないはずなのに、組み伏せられたジェレミアが本気で抵抗しているにもかかわらず、ルルーシュの手はしっかりとジェレミアの身体を押さえつけていて、逃げ出すことが困難だった。
そんなことはありえないことだ。
ジェレミアがルルーシュの具現化した心を拾い上げた瞬間から、ルルーシュは正気をなくしている。
それは間違いないことだったが、C.C.の心を掴んだときとは明らかに違う反応を、ジェレミアに対してルルーシュは示していた。

「・・・C.C.!どうなっているのだ!?」

長椅子に暢気に腰掛けたC.C.は、素知らぬ顔で、ジェレミアにそっぽを向いている。
表情が微妙に引き攣っているところを見ると、C.C.にもわけがわからないらしいことは、一目瞭然だった。
その目の前で、馬乗りになったルルーシュは、C.C.に助けを求めているジェレミアの後頭部に手をかけて、顔を床に強く押し付けた。
更に、C.C.に向けて伸ばされたジェレミアの腕を掴み取り、ぐいと背中で捩じ上げて、ジェレミアの動きを完全に封じてしまった。
容赦なくギリギリと強い力で押さえつけられて、ジェレミアにはどうすることもできない。
それでもジェレミアは、手にしたルルーシュの心を、離そうとはしなかった。

「ル、ルルーシュ!?一体どうしたと言うんだ?」

ジェレミアに対して、急に凶暴になったルルーシュに驚いて、スザクがジェレミアの腕を捩じ上げているルルーシュの手を離させようとするが、スザクの力でもびくりともしない。
それどころか、その手を振り払われて、スザクの体が床に打ち付けられた。
腕力のないルルーシュでは考えられないことだ。
ルルーシュの驚異的な力に驚いて、体を起こしたスザクは呆然としている。

「火事場の馬鹿力・・・とでも言ったところか・・・?」
「・・・は?」
「こんな事例は見たことも聞いたこともない・・・。ジェレミア・・・お前、よっぽどルルーシュに嫌われているのか?それとも・・・」
「そ、そんな・・・」
「なにがどうなっているんだ?ルルーシュは一体・・・?」

スザクにはさっぱりわけがわからない。
そうしている間にも、ルルーシュの虐待は激しさを増して、終にはジェレミアに「逆海老固め」の技を掛け始めた。
反り返った背中が軋んで、生命の危機を感じたジェレミアは、最後の気力を振り絞る。

「く、枢木・・・手、・・・手を出して、くれないか・・・」
「手?・・・こう、ですか?」

そう言って、訳がわからないながらも、スザクは素直にジェレミアの前に手を差し出した。
そして、

「パ・・・パス・・・」

その掌にルルーシュの具現化した心を、託すように手渡した。
その瞬間から、ルルーシュの標的はスザクに移行した。
技を掛けていたルルーシュの手が離されて、ジェレミアはうつ伏せのまま、がっくりと床に体を投げ出した。
僅かに顔を上げて、ルルーシュの様子を窺い見れば、ポーッとした表情でハートを手にしたスザクの顔を見つめている。
それは、さっきルルーシュがジェレミアに最初に見せた表情と同じだった。

―――く、枢木スザク・・・ルルーシュ様の恐ろしさを思い知れ・・・!

心の中でそう叫び、床に倒れ伏したままのジェレミアは微かに口端を吊り上げる。
ルルーシュの前では決して面には出さないが、ジェレミアの腹黒さは健在だった。
スザクに”心”を奪われたルルーシュは、しばらく朦朧とした瞳でスザクの顔を見つめ、白い頬に朱を上らせながら、躊躇いもなくその肩に腕を回した。

「・・・ル、ルルーシュ?」

突然抱きつかれて、事情を知らないスザクは焦っている。
しかし、焦っているのはスザクだけではなかった。
それをこっそりと窺っていたジェレミアは、自分に対してとはまったく違う行動をとったルルーシュに、焦りを通り越して恐慌状態に陥っている。
C.C.はスザクに抱きついたルルーシュを、不思議そうな顔で見つめていた。
そして、スザクの手にあるルルーシュの心を取り上げると、それを観察するようにじっと見つめた。
途端にルルーシュは抱きついていたスザクから離れると、いそいそと慌しい様子で、部屋の外へと出て行ってしまった。

「ど、・・・どうなって、いるのだ?」

ようやく床から体を起こしたジェレミアは、ハートを光に翳したりしているC.C.に問いかける。

「・・・一体ルルーシュはどうしてしまったんだ?それに、その物体は・・・?」
「これは、ルルーシュの”心”だ」
「・・・心?」

首をかしげているスザクに、C.C.は面倒くさそうな顔を向けて、テーブルの上に残されたキャンディーの説明を始めた。

「お前が馬鹿な悪戯をしなければ、こんな面倒なことにはならなかったのに・・・」

溜息を吐きながら、C.C.はうんざりしたような表情で、掌にあるルルーシュの”心”を弄ぶ。
しばらくして、戻ってきたルルーシュは白いフリルのエプロン姿だった。
その手には、大事そうに布の包みが持たれている。
C.C.の前まできて、ルルーシュはもじもじと恥らいながら、その包みを差し出した。

「・・・私にくれるのか?」

そう尋ねたC.C.に、ルルーシュは顔を真っ赤にして、こくりと頷いた。
それを受け取ったC.C.を見て、ルルーシュは蕩けるような笑顔を浮かべている。
その笑顔は、付き合いの長いスザクでさえ嘗て見たことのないような甘い表情で、スザクはドン引きに引いている。
恐慌状態が治まりつつあるジェレミアは、訳がわからず、呆然としていた。
それを横目で見ながら、C.C.は受け取った包みを開いてみると、その中からかわいらしいランチボックスが姿を現した。
ルルーシュは相変わらず、もじもじと体をくねらせながら恥らっている。
ドン引き状態だったスザクが頭を抱えているところを見ると、今度は激しい頭痛に襲われているらしい。
ランチボックスの蓋をゆっくりと開ける、C.C.の手の動きにスザクとジェレミアの視線が集中する。
パカリと開けられたランチボックスの中には、ハートマークの形をしたおにぎりが入っていた。
ご丁寧に、サクラでんぶや、錦糸卵で綺麗に飾りつけられているそれは、紛れ魔なく、愛妻弁当・・・の、つもりなのだろう。
と、いうことはつまり・・・。

「な、なぜ、私だけ・・・?」

ジェレミアに対してだけ、ルルーシュは攻撃的な行動を示したのだ。
なにかの間違いではないのかと、ジェレミアは確認する為に、C.C.が手にしているルルーシュのハートを奪い取った。
ハートがジェレミアの手に触れた瞬間から、ルルーシュの瞳が凶暴な目つきに変っている。
さっきまでの甘い表情は微塵もない。
自分より背丈の高いジェレミアの襟を乱暴に掴み上げてから、ぐいっと引き寄せて、その頬に往復の平手を食らわせる。
恐ろしいほどの冷徹な笑みを浮かべたルルーシュは、心底虐待を愉しんでいるようだった。

「どうしてジェレミア卿にだけ、こんなに凶暴になるんだ?」

目の前で、ルルーシュに殴られ、蹴られ、踏みつけられているジェレミアを見ながら、スザクは不思議そうにC.C.に意見を求めた。

「・・・どうしてと言われても・・・。さっきも言ったが、こんな事例は見たことがない。余程ルルーシュに嫌われているか・・・それとも、その逆か・・・?」

ルルーシュがジェレミアを嫌っているとは、考えられない。
だとしたら、

「・・・これがルルーシュの愛情表現・・・だとでも、言うのか?」

ルルーシュの虐待を受けて、すでに虫の息になっているジェレミアに、スザクはゾッとした。
ジェレミアの体は半分以上が機械なのだから、身体的なダメージはそれほどではないのだろうが、精神的にかなり打ちのめされているようだった。
修復不可能なくらいに、ジェレミアの心は傷ついているに違いない。
例え、薬の作用が切れても、ジェレミアの心に残った傷は消えないだろう。
だとしたら、この二人の関係が破局するのは確実だ。
それは、自分の所為ではなく、ルルーシュの所為なのだと、スザクは心の中で、責任の全てをルルーシュに押し付けた。
恰好の言い訳を見つけて、スザクは内心ほっとしている。

「あとは当事者同士の問題だ・・・」
「・・・放っておいても、いいのか?」
「外野がどうこう言っても始まらない。今のルルーシュにはジェレミアしか見えていないのだからな」
「ちょ・・・ちょっと待ってくれ!わ、私を、見捨てる気か!?」
「見捨てるも何も、それを望んだのはお前だろう?」
「わ、私は・・・確かにルルーシュ様のお心が欲しいとは言ったが、・・・こんなことになるとは、思ってもいなかったのだ!」
「だったら、ルルーシュの”心”を返せばいいだろう?私はそんな物騒なものは欲しくない」
「そ、そんな・・・」
「ルルーシュに返したくないと言うのなら、ソフトSMプレイだとでも思って諦めろ。行くぞスザク」
「あ・・・。う、うん・・・」
「ま、待ってくれ!」

ルルーシュに、「四の字固め」の技を掛けられているジェレミアの悲痛な叫びを背中に受けながら、無情にも、C.C.とスザクは部屋を出て行ってしまった。
取り残されてしまったジェレミアは、どうしていいのかわからない。
困惑するジェレミアを、ルルーシュは愉しそうな瞳で見つめている。
そのどす黒い闇を湛えた視線に、ジェレミアは背筋が凍りつくのを感じた。
ジェレミアの手には、ルルーシュの心がしっかりと握られている。
それをルルーシュに渡してしまえば、ジェレミアはこの地獄のような虐待から開放されるのだが、ジェレミアは迷っていた。
それを返してしまったら、ルルーシュが自分のことなど相手にもしてくれないと、思い込んでいるからだ。
ルルーシュに気づかれないように、ジェレミアは手にしたそれをこっそりと上着の内ポケットの中に忍ばせる。
そして、ルルーシュの一瞬の隙を突いて、逃走を企てた。
逃げ出すくらいなら、ルルーシュに”心”を返してしまえばいいようなものだが、今のジェレミアは冷静な判断力を失っていた。
ルルーシュの手を振り解き、部屋の出口に向かって一目散に走り出す。
しかし、長い上着の裾をルルーシュに掴まれて、ジェレミアの逃走はあっけなく阻止されてしまった。
今のルルーシュはジェレミアが考えているほど甘くはないのだ。
掴まれた裾を強い力で引っ張られて、ジェレミアは背中を強かに床に打ちつける。
面白くなさそうなルルーシュの顔が、ジェレミアの顔を覗き込むようにして見下ろしていた。

「ルルーシュ・・・さま・・・?」

呼びかけても、ルルーシュはなにも言わない。
言葉の代わりに、ジェレミアの右手を取って、それを口許に運ぶ。
ルルーシュのくちびるが近づいて、一瞬キスをもらえるのかと期待したジェレミアの右手に強烈な痛みが走った。
「ぎゃぁッ」と悲鳴を上げて、その痛みの元に視線を向ければ、ルルーシュがジェレミアの右手にガブリと噛みついている。
食いちぎらんばかりの勢いで、ルルーシュが噛みついているそこは、ジェレミアの生身の部分だった。
ルルーシュは、確実にジェレミアの急所を狙って攻撃している。
薬の所為で心をジェレミアに取られていても、ルルーシュの優秀な判断力と決断力は欠落していないことが窺えた。
そもそも、心を取られたからと言って、ルルーシュが別人格になっているわけではない。
ジェレミアだけに見せた、攻撃的で凶暴な性格も間違いなくルルーシュなのだ。
・・・などと、今は暢気に客観視している場合ではないことに、ジェレミアはすぐに気づいた。
ギリリとジェレミアの手に噛みついたルルーシュの力が増したのだ。
ルルーシュの歯が食い込んだジェレミアの手を覆う白い手袋が、滲み出た血液でじんわりと紅く染まる。
このままでは、本当にルルーシュに手を噛み切られてしまいそうだった。

「あの・・・ルルーシュ様?・・・その、とても痛いのですが・・・離してはいただけないでしょうか?」

少しマヌケな言葉でそう言ったジェレミアを、凶暴な目つきで見ていたルルーシュは、咥えたジェレミアの手を更に強く噛んだ。
「離さない」とでも言うことなのだろうか。
だとしたら、ジェレミアの言葉は理解できているようだ。

「私のなにが、お気に召さないのですか?」

訊いてもルルーシュは答えない。
噛みついたまま、苦痛に歪んだジェレミアの顔を見ながら、ルルーシュは凶暴さを増した瞳をうっとりと細める。
しばらくそのままだったルルーシュはやがて、それに飽きたのか、ようやく噛んでいたジェレミアの手を開放した。
開放されても、ジェレミアには逃げる気力は残されていない。
薬の効果が切れるまでには、まだ相当時間が残っている。
その間中、ルルーシュから逃げ切れるとは思えなかった。
こんなことになるのなら、さっさとルルーシュの心を返してしまえばよかったと、ジェレミアは後悔する。
今からでも遅くはないと思い直し、上着の内ポケットに手を差し入れようとした。
しかし、その行動が、ルルーシュには不穏な動きに見えたのだろう。
ジェレミアの手がポケットの中を探る前に、ルルーシュの手がそれを阻止した。
掴んだジェレミアの腕を床に強く打ち付けて、ルルーシュはジェレミアを睨みつける。
ルルーシュはジェレミアが何か行動をしようとする度に、それを阻んで凶暴さを増していた。
逆に言えば、さっきルルーシュがジェレミアの手から口を外した時のように、ジェレミアが大人しくしていれば、ルルーシュはあまり酷いことはしない。
そのことに気づいて、ジェレミアは諦めたように体を投げ出した。
大人しく従っていれば、ルルーシュは凶暴にはならないはずだ。
しかし、その予想を裏切って、ルルーシュは脱力したジェレミアの髪を強く掴み締めた。
容赦なく引っ張られて、掴まれた髪が何本か千切れたほどだ。
「なぜ」と疑問を抱く暇もなく、ジェレミアの上着をルルーシュが乱暴に剥ぎ取った。
内ポケットにルルーシュの心を入れたままのそれを、ジェレミアの手の届かないところまで放り投げると、ルルーシュはニヤリと勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
それはジェレミアにとって絶望的な状況だった。



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