愛情表現のしかた



透明度のある陽の光が、広い窓から惜しみなく降り注がれている。
どこかで小鳥の囀る声が聞こえていた。
昼にはまだ間があったが、朝と呼ぶには遅すぎる。
ルルーシュが、キャンディーのような薬を口にしてから、まだ二時間も経過していない。
効果の持続は約六時間だとC.C.は言った。
だとしたら、あと四時間以上残されている。

―――あと四時間・・・。

長いようで、やはり長い。
ちらりと時計の針を窺って、ジェレミアは遣り切れない溜息を吐いた。
毛足の長い絨毯の柔らかい感触が、衣服越しにもジェレミアの背中に感じられた。
さっきまで着用していたジェレミアの上着は、遥か遠くに投げ捨てられている。
ルルーシュに放り投げられたのだ。
上着の内ポケットには、ルルーシュの”心”が入ったままだった。
それをルルーシュに返そうとして、ジェレミアは失敗した。
だから、ルルーシュの”心”は未だにジェレミアが所有していることになっている。
絨毯の上に仰向けに倒れたジェレミアの乱れた襟は、胸元の下まで開けられていて、その所どころに紅い鬱血の痕と歯形が幾つも残されていた。
それをつけた当の本人は、ジェレミアの上に身体を乗せて、見下ろすように残忍な笑みを浮かべている。
ジェレミアはそのルルーシュから、逃げることもできなければ、抵抗することもできない。
逃げ切ることなどできないのはわかっているし、そんなことをすればルルーシュの虐待行為が増すばかりで、ジェレミアにはなんのメリットも見つからないからだ。
諦め切った顔を横に背け、耐えるようにくちびるを噛み締めたジェレミアは、余計なことを一切口にしなくなっていた。
今のルルーシュに、ジェレミアの言葉が届いているのかもわからない。
こうなってしまったのは、自分の責任なのだから仕方がないと、諦めている。
残忍な笑みを浮かべながら、脱力しているジェレミアを見下ろすルルーシュは、なにもわかっていない。
獲物を捕らえた猛獣のような悦びに浸っている。
捕まった獲物は、散々に弄ばれて、最後は食われてしまうのだ。
そう考えて、ジェレミアは恐怖した。
この場合、本当に食べられてしまうわけではないが、「食べられる=性交を強要される」ということなのだ。
ジェレミアを虐待することに悦びを感じている今のルルーシュが、まともなセックスをしてくれるはずがない。
ルルーシュが容赦のない性格であることは、よく知っている。
現に、過剰な愛情表現を示したルルーシュは、容赦なくジェレミアを甚振って悦んでいる。
そのルルーシュに、まともな行為を期待するのは無理は話だ。
恐怖に慄きながら、血の気の引いた顔を引き攣らせて、ルルーシュを見上げれば、にんまりとした笑みを浮かべて自分を見下ろしている視線と目が合った。
ギラギラと欲望を滾らせた野蛮な瞳には、ジェレミアの好きなルルーシュの優雅さはない。
ルルーシュの怒りを露にした時の瞳や、無表情の冷たい瞳は何度も見たことがあるジェレミアだったが、こんな目をしたルルーシュは、一度も見たことがなかった。
その瞳に見つめられて、心の奥底から恐怖が湧き上がるのを抑えられない。
更に、そのルルーシュから逃げる手立てがないことも、ジェレミアを恐怖のどん底に陥れている。
力の加減をしているとは言え、貧弱なルルーシュにジェレミアが腕力でねじ伏せられるなど、あってはならない状況だ。

―――・・・わ、私はどうしたら、よいのだ・・・?

見つからない答えを必死に探して、ジェレミアの視線は虚空を彷徨う。
そうしている間にも、ジェレミアの危機は刻々と迫りつつあった。





「ルルーシュにあんな得体の知れない薬を飲ませて大丈夫なのか?」

心配そうな顔のスザクにC.C.は鼻で笑う。

「お前、ジェレミアと同じ事を言うのだな?そんなにルルーシュが心配なら、戻って確かめてみるか?」
「・・・冗談だろ?今戻ったらとんでもない場面に出くわしそうだ・・・」
「なんだ?顔が赤いぞ?」
「他人の濡れ場に乱入するほど、僕は無粋じゃないから・・・」
「・・・というより、好んでは見たくないな・・・」

C.C.は顔色一つ変えない。亀の甲より年の功とでもいうべきか。

「ジェレミアにも言ったが、副作用の報告は受けていない。だが・・・」
「なにか、問題でもあるのか?」
「・・・あんな力の使い方をしていたら、体の方が先に参ってしまうかもな・・・」
「体?」
「お前も見ただろう?もともと体力のないはずのルルーシュのとんでもない力を」

まったく歯が立たないとまではいかないが、今のルルーシュはスザクどころか、ジェレミアまでも圧倒するほどの腕力を発揮していた。

「・・・人間と言うのは、本来持っている力の一割程度しか普段は発揮しないものだ。それがなぜだかわかるか?」
「・・・さぁ?」
「常に全力を使っていたら、体がもたないからだ。脳が本能的に力を制御している」
「それじゃぁ、ルルーシュは・・・」
「薬の所為でその制御ができなくなっているだけだ。潜在能力が上がったわけではない。個人のキャパシティーは変らない」

そう言って、C.C.はニヤリと笑った。

「あんな力の使い方をしていたら、薬の効き目が無くなる前に、倒れることは確実だ」
「・・・それをわかっていて、キミはルルーシュにあれを飲ませたのか?」
「わかってはいたが・・・ルルーシュがまさかあんな行動をとるとは思わなかった・・・。あれは想定外だ」

C.C.の言うとおり、ルルーシュのジェレミアに対する行動は、スザクの目から見ても異常だった。
自分やC.C.に見せた行動とは、まったく違う反応をジェレミアにだけ示したのだ。
それはやはり「想定外」としか、言いようがないだろう。

「ルルーシュはそんなにジェレミア卿のことが好きなんだろうか?」
「さぁ・・・?」
「無責任だな・・・」
「捻くれたあいつの気持ちなど、私にわかるはずがないだろう?」

C.C.はそう言ったが、スザクにはなんとなく、ルルーシュのあの態度の意味がわかるような気がした。

―――愛情の裏返し・・・とでも言うべきか?

素直ではない親友の顔を思い浮かべて、スザクは苦笑を滲ませた。





ジェレミアは涙ぐましい努力をしていた。
ルルーシュに気づかれないように、仰向けになった身体を少しずつずらして、投げ捨てられた自分の上着へと着実に近づいていた。
上着の内ポケットに仕舞われたルルーシュの心を返してしまえさえすれば、ジェレミアはこの虐待地獄から開放される。
そう信じて、ジェレミアはさりげなく体を移動させている。
が、しかし、それは亀の歩みよりも遅い速度で、自分でももどかしいくらいしか進めない。
ジェレミアの不穏な動きにまだ気づいていないルルーシュは、ジェレミアの肩に爪痕を残したり噛みついたりして遊んでいる。
ルルーシュがそれに飽きてしまう前に、上着を手にする必要がジェレミアにはあった。

―――あ・・・あと、も、もう少し・・・。

漸くもう少しで手が届くという位置まで辿り着いて、遊んでいるルルーシュを窺いながらこっそりと腕を伸ばせば、指先が僅かに上着の生地に触れた。

―――こ、これでやっとルルーシュ様から開放される!

安堵と喜びに、ジェレミアが気を緩めた瞬間に、ルルーシュの手が、上着に伸ばされたジェレミアの腕を掴んだ。

「ル、ルルーシュ様・・・」

ゆっくりと上げられたルルーシュの顔には、思いっきり不興の色が浮かんでいる。
「なぜ逆らうのだ!?」とでも言いたそうな瞳が、ジェレミアの顔を睨みつけていた。
掴まれた腕に力が加わり、痛みに顔を歪ませたジェレミアだったが、それは一瞬のことで、ルルーシュの手がひくひくと痙攣するように震えだす。
ルルーシュは訳がわからない様子で、震えの止まらない自分の手をじっと見つめた。
体の異変に驚いているルルーシュの隙を逃さず、ジェレミアはルルーシュの下から這い出るように逃げ出すと”心”の入ったままの上着を掴んで、それを大事そうに胸に抱える。
そのジェレミアを睨むように見つめて、ルルーシュは力の入りきらない手を自分の左目に静かに翳した。

「お、お止めください!」

自分にギアスを使うつもりだと、咄嗟に理解したジェレミアの制止の声を無視して、片方だけのコンタクトが外される。
紅い禍々しい光を湛えたギアスの瞳が姿を現して、ジェレミアは慌てて自分の左目を手で覆い隠した。
仮面の下のジェレミアの義眼が、ルルーシュのギアスに反応して疼きだす。
ジェレミアの左目にギアスの力を無効にするキャンセラーがあることすら、ルルーシュは忘れているようだった。

「ルルーシュ様。・・・私にギアスは通用しません・・・。ですから、どうか、無駄なことはお止めください!」

そう言ったジェレミアに、ルルーシュは不敵な笑みを浮かべている。
ルルーシュは、ジェレミアにキャンセラーがあることを忘れているわけではなく、この場所で、ジェレミアがキャンセラーを使わないことを確信しているのだ。
効果範囲を制御できるとは言え、ルルーシュのギアスに掛けられている兵士が大勢いる王宮の中では、迂闊にそれを発動させるわけにはいかない。
それをわかっていて、ルルーシュはジェレミアにギアスを使おうとしている。
どうしていいかわからずに、ジェレミアは一歩二歩と後ずさる。
しかし、いつまで経っても、ルルーシュのギアスの光は、ジェレミアの怯えた瞳に飛んでくることはなかった。
なぜなら、”心”を取られている今のルルーシュは、言葉を紡げないのだ。
ジェレミアの前で、何かを言いたそうに開いたくちびるをひくひくと震えさせ、ルルーシュは愕然とした表情を浮かべている。
懸命に言葉を出そうとするのだが、声は形を成さずに、ルルーシュの口からは呻くような叫び声しか出てこない。
おろおろと狼狽しながら、もどかしさに髪を掻き毟るルルーシュを見て、ジェレミアは居た堪れない思いの中で、自分のやり方が間違っていたことを知った。



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