愛情表現のしかた



長椅子にだるそうに腰掛けたルルーシュの前で、ジェレミアはいつも以上に緊張した面持ちで、畏まっていた。
頭を下げていると言うよりは、項垂れていると言った方が、表現的には正しいかもしれない。
それを見下ろしているルルーシュの手には、ハートの形をした”心”が取り戻されていた。
ジェレミアは、ようやくルルーシュに”心”を返すことができたのだ。
しかし、それを返したからと言って、ジェレミアの窮地が変ったわけではなかった。
自分の愚行を包み隠さずルルーシュに話したジェレミアは、叱られる覚悟を決めている。
「顔を上げろ」と、ルルーシュに言われても、ジェレミアは黙ったまま、頑なに俯いていた。
そのジェレミアの額に、ゴツリと靴裏の硬い感触が伝わった。
額に踵を押し付けられて、仰け反るようにして無理矢理顔を上げさせられたジェレミアの目に映ったルルーシュは、無表情な顔をしていた。

「言いたいことはないのか?」
「ご・・・ございません・・・」
「言い訳ぐらいしてみたらどうなんだ?」
「・・・悪いのは私です。今更言い訳するつもりはございません」
「そうか・・・。それなら、覚悟はできているんだろうな」
「・・・はい」

額から踵が離れ、ジェレミアが覚悟を決めて目を閉じた瞬間に、ルルーシュに右頬を蹴り飛ばされた。
床に倒れこんだジェレミアを、ルルーシュは黙って見つめている。
視線を合わせないまま体を起こして、ジェレミアは再びルルーシュの前に畏まった。
椅子に腰掛けていたルルーシュが立ち上がり、下げられたジェレミアの頭を踏むと、それを力強く床に押しつける。
その苦痛に耐えながら、ジェレミアは少しも声を出さなかった。

「こんなもので、人の心を手に入れて、お前はそれで満足だったのか?」
「も・・・し、わけ、ございません・・・」

ルルーシュの怒りはもっともだと、ジェレミアは理解している。
だから、ジェレミアはルルーシュの気が済むまで、殴られる覚悟はできていた。
さっきまでの、無意味な虐待とは違うのだ。
口答えするつもりも一切ない。
無抵抗に踏みつけられているジェレミアを、ルルーシュはおもしろくなさそうに見下ろして、ゆっくりと頭から足を離した。

「お前の馬鹿さ加減にはうんざりする」

よろよろと床から頭を上げたジェレミアは、ルルーシュの侮蔑を黙って聞いていた。
しかし、罵倒はするものの、ルルーシュはそれ以上の暴力をジェレミアに振るうことはなく、椅子に腰掛けたままだるそうにしている。
しばらくすると、その声も聞こえなくなってしまった。
代わりに、呻くような低い声が聞こえて、異変を感じたジェレミアが顔を上げた時には、ルルーシュは椅子の上で、震えながら蹲っていた。

「ルルーシュ様!?」

尋常ではない様子に驚いて、慌てて伸ばしたジェレミアの手は、ルルーシュによって振り払われた。

「さ、わるな!」
「ルルーシュ様・・・」
「なんでも、ない・・・」

言いながらもルルーシュは苦しそうに右手を抱え込んでいる。
抱え込んだルルーシュの右腕が、ひくひくと痙攣を起こしていた。

「ジェレミア・・・お前、俺に何かしたのか?」
「・・・い、いえ・・・わ、私は何もしておりません」

ルルーシュの”心”を奪っている間、ジェレミアは一方的に虐待されていた。
ルルーシュには一切手を出していない。

「では・・・俺は、お前に何をした?」
「そ、それは・・・」

欠落した記憶を情報で補う為に訊いたのだが、ジェレミアは言い淀む。
「答えろ」と、強い口調で言われて、ジェレミアは渋々ルルーシュに虐待を受けた事実を告げた。

「なんでお前は逃げなかったのだ?」
「・・・ルルーシュ様のお力があまりにも強くて、とても・・・逃げられる状況では、ありませんでした・・・」
「お前でも、敵わないくらいに・・・か?」
「・・・力を加減してはいましたが・・・」
「・・・そうか」

ジェレミアの言葉に、ルルーシュは何かを理解したような顔をして、痙攣の治まらない自分の手をじっと見つめた。
傍にいるジェレミアは訳がわかっていない様子で、心配そうにルルーシュを見上げている。

「C.C.め、とんでもないものをこの俺に飲ませてくれたな・・・」
「申し訳ございません・・・」

元はと言えば、ジェレミアの所為なのだ。
ルルーシュの心が欲しいなどと言わなければ、こんなことにはならなかったに違いない。

「・・・その薬はまだ残っているのか?」
「は?・・・はい」
「そいつを俺によこせ。そんな物騒なものを放置しておくわけには行かない。没収だ!」

言われてジェレミアは、テーブルの上に置きっぱなしになっていた、薬の入った紙の包みを素直にルルーシュに差し出した。
それを受け取ったルルーシュが、既にその薬の使い道についてあれこれと考えていることには、ジェレミアは気づいていない。

「ところで・・・」

と、ルルーシュは痛む腕を擦りながら、ジェレミアに話しかけた。

「お前はまだ、俺とスザクを疑っているのか?」
「そ、それは・・・その・・・。う、疑うなど、とんでもございません。私は別に気にしていませんから・・・」

そう言いながらも、ジェレミアの視線がルルーシュの襟元に一瞬だけ向けられて、すぐに逸らされた。

「嘘を吐くな。それなら、なぜお前はヤキモチを妬くんだ?」
「そ、そのような・・・おこがましいことは・・・」

言いかけたジェレミアの顔にルルーシュの靴底が押しつけられた。
腕は駄目でも、足癖の悪さは健在のようだった。

「俺への当てつけに朝帰りをしておきながら、よくそんな嘘が言えるな・・・。昨夜はどこの女と遊んでいたんだ?」
「ち、違います!」
「なにが違うと言うのだ?」

愉しそうな声とは裏腹に、ルルーシュの瞳には侮蔑の色がありありと浮かんでいる。

「朝帰りはしましたが・・・ルルーシュ様がお考えになっているような不謹慎なことはしておりません」

実際にジェレミアはなにもしていない。
昨日は本当に用事があって出かけたのだが、そのまま戻るのが癪だったので自棄酒を飲んで酔いつぶれた挙句に、公園の植え込みに頭を突っ込んで爆睡していたのだ。
因みに。上着の襟元についた口紅は、酒を飲んだときにたまたま隣に居合わせた女性につけれれたものだ。
C.C.の言った香水の残り香も、その女性のものだった。
しかし、まさかそのような醜態をルルーシュに言えるはずもなく、ジェレミアは困惑の表情を浮かべる。

「・・・まぁいい。お前がそう言うのなら、信じてやらんでもないが・・・」
「あ、ありがとう、ございます」
「但し、今後一切、無断の外泊は禁止する。いいな?」
「・・・は、はい」

話がそれで打ち切られたことに、ジェレミアは安堵した。
それでも、ジェレミアのルルーシュに対する疑念が消えたわけではない。
ルルーシュの首筋に残された紅い痕を見る度に、気持ちがどんどんと沈んでいく。
ルルーシュを前にして、それを表情に出さないほど、ジェレミアは器用にはなれなかった。
暗い顔をしたジェレミアに、ルルーシュは呆れたような溜息を吐いて、背凭れに体を預けながらゆっくりと天井を仰ぎ見る。

「お前、俺を余程信用していないんだな・・・?」

視線を合わせないままそう言ったルルーシュの声は、なげやりにも聞こえた。

「・・・まぁ、仕方ないか・・・。臣下と言っても、お前の主君は元々俺ではないわけだし・・・。俺に忠節を尽くしているのは、母さんの為なのだからな」
「そ、そのよなことはございません!」

最初の頃は確かにそうだったが、今は違う。
ジェレミアは本気でルルーシュを主君として忠節を尽くしているのだ。
それをどう言えばルルーシュにわかってもらえるのか・・・。

「・・・私のご主君はルルーシュ様だけです!」
「だが、お前は俺が信じられないのだろう?だから嫉妬するんだ」
「嫉妬など・・・私はルルーシュ様の”物”ですから・・・その・・・お、お相手をしていただけるだけで、充分です・・・」
「・・・なんだそれは?」
「ルルーシュ様にご満足いただける道具として私をお使いいただけるのでしたら、・・・わ、私は、それでも構いません・・・」

天井を見上げていたルルーシュの視線が、いつの間にかジェレミアに向けられている。
思いっきり不快そうな顔をして、今にも泣き出しそうなジェレミアをじっと見下ろしていた。

「私は、ルルーシュ様の傍にいられればそれだけで・・・」
「お前はどこまで卑屈な根性をしているんだ!?」
「あ、あの・・・?」
「自惚れるにも程がある。お前の身体にどれだけの価値があると?馬鹿も休み休み言え!欲求を満たす為に抱くんなら女の方がいいに決まっている。わざわざ好き好んで男のお前など抱くものか!」
「・・・ルルーシュ様?」
「俺はブリタニアの皇帝だぞ?女に不自由しているようにでも見えるのか?」
「も、・・・申し訳ございません・・・。私はそのようなつもりでは・・・」

叱られたと思い込んでいるジェレミアは、顔を上げられないでいる。
それを見下ろして、

「・・・ジェレミア、お前まだわからないのか?」

そう言ったルルーシュは、苦笑を浮かべた。
ここまで鈍いと、スザクや咲世子以上の天然である。
遠回しに言っても、今のジェレミアには通じないようだ。

「お前・・・俺が何の為に時々お前に身体を預けていると思っているんだ?」
「それは・・・」
「お前を手懐ける為の”餌”だとでも思っていたのか?」
「ち、違います!私はルルーシュ様をそのように考えたことなど、一度もございません!」
「では?」
「・・・ルルーシュ様が、私をお気遣いくださっているのだと・・・理解しております」
「なんだ?ちゃんとわかっているではないか・・・」
「は・・・はい」
「わかっているのなら、もう二度と馬鹿なことは口にするな」

そう言ったルルーシュの声が優しいことに気づいて、ジェレミアは恐る恐る顔を上げた。
できるだけルルーシュの襟元を見ないようにしながら、その顔を見上げれば、表情が思った以上に穏やかだった。

「・・・あの、ほ、本当に、枢木とは・・・その・・・なにも?」
「当たり前だ」

ルルーシュが自らの襟に手をかけて、それを寛げると、紅い鬱血の痕をわざととジェレミアに見せつける。

「これは、スザクがお前をからかう為に、冗談でつけたんだ!」

目の前に曝されたそれに、ジェレミアは思わず視線を背けた。
枢木の悪戯だったと言われても、俄かには信じられない。
「まったくお前には手を妬かされる・・・」と、呆れたように言ったルルーシュは、痛む腕を庇いながら、長椅子から腰を上げた。
片膝をついて俯いているジェレミアの前まで歩み寄り、そこでルルーシュは動きを止める。
そして、優しくジェレミアの髪を掻き上げた。

「ジェレミア・・・」

穏やかな声で名前を呼ばれて、ジェレミアの胸に中に例えようのない温かい感情がこみ上げてくる。
それはそのまま涙となって零れ落ち、ジェレミアの頬を濡らした。
ジェレミアの肩が震えている。言葉も出てこない。
ルルーシュに名前を呼ばれただけなのに、ジェレミアはそれだけで胸がいっぱいになっている。

「忙しさにかまけて、お前を放っておいた責任は俺にもある・・・」
「・・・と、とんでもございません」
「お前が望むだけのことをしてやりたいのは山々だが、・・・この身体では、満足させてやることもできない。その代わりと言ってはなんだが、お前に俺の身体をくれてやる。・・・今はそれで我慢してくれ」
「ルルーシュ・・・さま・・・」

ジェレミアにとってルルーシュのその言葉は、正に「棚から牡丹餅」である。
ルルーシュにとって、それはジェレミアの抱いている嫌疑を晴らすと言う意味合いも含められているのだろうが、ジェレミアにしてみれば、とんでもないくらいに信じられない、嬉しい申し出だった。



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