愛情表現のしかた
あれから一週間もの間、ルルーシュはおとなしく養生をしていた。
執務と実務はジェレミアとスザクに代行させているので、ルルーシュが報告を聞きながら必要な裁決を下せば、あとは二人が勝手にやってくれている。
暇を持て余したC.C.が、ルルーシュの元に顔を出しては部屋を出て行く姿が度々目撃されてはいたが、誰も気に留めず、何の不審も抱いていない。
ゆっくりと休養をとり、気力も体力も充分に満たしたルルーシュは、これまで以上に「皇帝」の職務に精を出した。
・・・と、思っているのはルルーシュだけで、実際にはジェレミアとスザクが忙しく働いている横でふんぞり返りながら、「あーでもない、こーでもない」と口を挟んでは余計な仕事を増やしているだけなのだが・・・。
それでも、働いたつもりのルルーシュは充実感を得て、満足そうである。
満面の笑顔からは、不穏な気配など微塵も感じさせない。
だからと言うわけではないのだろうが、ルルーシュが休んでいる時の二倍の仕事をさせられたジェレミアとスザクは、心身ともに疲れきっていて、うっかりとルルーシュの悪巧みに気が回らなかったのも事実だ。
日差しもうららかな午後三時。
「そろそろ休憩でも」と、言い出したのはルルーシュだった。
「休憩・・・?そんな暇があるとでも思っているのか?」
「そうです。陛下がお休みになっている間に溜まった仕事が山ほどあるのですよ」
「仕事をする気がないのなら、せめて邪魔しないでくれないか?」
棘のある言葉で言われても、ルルーシュはニコニコと笑っている。
元はと言えば、ルルーシュが寝込んだ責任は、スザクに有り、ジェレミアに有り、C.C.にある。
それをわかっていながら、反論しないルルーシュは不気味だ。
しかし、今はそれに構っているほどの余裕はなく、次から次へと運ばれてくる仕事の処理に追われている。
「そう言わずに、少し休んだ方が仕事の効率も上がると思うが?それに、お前達に忙しい思いをさせたお詫びに、折角ケーキを焼いてやったのだぞ。お茶でも飲みながらどうだ?」
猫撫で声でそう言ったルルーシュは、執務室のど真ん中にテーブルをセッティングして、勝手にお茶の用意をし始めた。
焼き立てのシフォンケーキの甘い香りが執務室に漂っている。
いつの間に現れたのか、可愛らしいメイド服に身を包んだC.C.がルルーシュの隣で、シフォンケーキを取り分けていた。
仕組んだのはすべてルルーシュだ。なにがなんでもお茶にしたいらしい。
言い出したら人の意見などまったく受け入れない、ルルーシュの我侭な性格を熟知している二人は、仕事を継続することを諦めて、用意されたテーブルに向かう羽目になる。
スザクの前に用意されたティーカップに紅茶を注ぎながら、「砂糖はいくつだ?」と、尋ねるルルーシュは、気を利かせたつもりなのだろう。
「い・・・いいよ。そんなこと自分でするから・・・」
「まぁまぁ・・・いいではないか」
「それじゃぁ・・・一つ・・・」
答えながら、スザクは正面にいるジェレミアの視線を気にしている。
ジェレミアの羨ましそうな視線が、絡みつくようにスザクを見つめていた。
「お前は砂糖はどうするのだ?」
ジェレミアの横では、メイド服を纏ったC.C.がぶっきらぼうに聞いている。
見た目は可憐だが、態度は酷く不本意そうだ。
そんなC.C.に給仕をしてもらったところで、当然ジェレミアも嬉しいわけがない。
「自分で入れるからいい」
「そんなことを言うな。この私がお前ごときを相手にしてやっているのだぞ!?」
「私がお前に頼んだわけではない!」
「なんだと!?」
C.C.とジェレミアは、今にも喧嘩を始めかねない勢いだ。
「砂糖はいくつだと聞いている!」
「では、一つ!」
「一つだな!?」
そう言うとC.C.はジェレミアの目の前にあるシュガーポットをがしりと掴み、中の砂糖をドボドボとティーカップの中へ流し込んだ。
それをスプーンでぐるぐるとかき混ぜて、C.C.は勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
ジェレミアは、確かに「一つ」とは言ったが、スプーン一杯という意味であって、シュガーポット一つとは言っていない。
常識的に考えて、そんなことは子供でもわかることだ。
だから、C.C.がジェレミアに嫌がらせをしていることは明白だった。
最初は唖然としていたジェレミアの顔に、徐々に怒りが滲み出る。
飽和状態で、溶けきらない砂糖が沈殿するティーカップを手に取ると、それを口許に運んで、ぐいと一気に飲み干した。
こうなると、紅茶を飲んでいるのか、砂糖を飲んでいるのかわからない。
なんとも言えない表情を浮かべ、乱暴にソーサーの上へと戻されたジェレミアのティーカップの底には、ドロドロになった砂糖が大量に残っていた。
まるで、子供の意地の張り合いのような遣り取りを見ていたスザクは、顔を歪めてヒクヒクと頬を引きつらせている。
その隙に、ルルーシュはさりげなく、スザクの紅茶に砂糖を入れた。
スプーンに掬った砂糖をさらさらと落とし入れながら、中指と薬指の間に忍ばせたキャンディーをこっそりとカップの中に落として、素知らぬふりでかき混ぜる。
固形のそれが完全に融解したのを見計らって、ルルーシュはそれをスザクに勧めた。
ジェレミアとC.C.の遣り取りに気をとられていたスザクは、ルルーシュの不穏な行動にまったく気づいていない。
スザクの注意をティーカップから逸らす為に、C.C.にはわざとジェレミアの神経を逆なでするような言動をとるようにと、予め打ち合わせてあったのだ。
しかし、ジェレミアは共犯者ではない。
ジェレミアの意地っ張りな性格を見越しての計画だったのだが、まんまとそれに乗ってくれた。
もし万が一、ジェレミアがそこでC.C.の誘いに乗ってこない場合を想定して、一応二重三重の手は考えてあったのだが、それは無駄になってしまった。
ルルーシュの臣下を名乗るこの男の単純明快な行動パターンに、ルルーシュは複雑な心境で、心の中でこっそりと苦笑する。
頭もきれるし、仕事を任せれば人並み以上にきっちりとこなす。そのくせ、今のように時々子供のような行動をすることがあるジェレミアは、ルルーシュの玩具には最適の人物だった。
だが、今はジェレミアよりもスザクである。
スザクの紅茶に砂糖と一緒に入れたキャンディーは、例の薬だ。
その効能や性質を詳しく知る為に、寝込んでいた間のルルーシュは度々C.C.を呼び出して、話を聞いた。
物質の形が、固体から液体、または気体に変化しても、摂取する量が変らなければ、効能に影響はないらしいことを知ったルルーシュは、飲み物に混入することを選んだのだ。
計画の打ち合わせも、そのときに済ませてあった。
ルルーシュが一週間もの長期休養をとっていたのは、体の不調ばかりが理由ではなく、今日の為に完璧な計画を練り、水面下で準備を万端に整えていたからである。
緻密に計画を練り上げたわりには、やることがセコいのはルルーシュの性格なのだろう。
なにも知らないスザクはルルーシュに勧められるがままに、ティーカップを口に運ぶ。
もちろん、さっきのジェレミアのように、一気にそれを飲み干す訳ではないが、それでも時間を惜しんでいる彼は二口、三口と熱い紅茶を喉の奥に流し込んでいる。
ケーキを食べながら、紅茶をすべて飲み終えたスザクを、ルルーシュが窺うように見つめていた。
そして、突然顔を歪めて胸の辺りを掴み締めたスザクの前に、ポロリと、掌サイズのハートが零れ落ちた。
「あ・・・」
驚きの声を上げたのはジェレミアだった。
ここ一週間、仕事に追われていたジェレミアは、ルルーシュに取り上げられた薬のことなどすっかりと忘れていたのである。
慌てて砂糖の残骸が残る自分のティーカップを確認しているジェレミアは、自分の紅茶の中にも薬を入れられたのではないかと疑っているようだ。
「安心しろ。お前のには入れていない。・・・お前には小細工など必要ないからな」
ルルーシュの命令に従順なジェレミアは、「口を開け」と言われれば口を開けるし、「飲め」と言われれば、人体に害のないものなら素直に飲み込む。
だから、ルルーシュの言ったとおり、余計な小細工は必要ない。
言いながら、ルルーシュはテーブルの上に落ちたスザクの”心”を気軽に拾い上げた。
呆気にとられているジェレミアの目の前で、スザクの目の色が、みるみるうちに変っていく。
うっとりとした表情を浮かべてルルーシュを見つめるスザクは、確実に”心”を奪われている。
秘薬ともいえる薬の効能を目の当たりにしたルルーシュは、始めのうちはすこし驚いていたようだが、すぐににやりと不敵な笑みを浮かべた。
その笑みは、スザクに向けたものではない。
”心”を奪われて自我をなくしたスザクは、その笑みの意味などわかってはいない。
ルルーシュしか見えていないスザクには、ルルーシュがなにを考え、企もうと、関係ないのだ。
ポーッとした顔で自分を見つめているスザクが、次にどのような行動に出るのか、楽しみで仕方がないルルーシュは、椅子に腰掛けて、スザクの様子を探るように窺っている。
それを横で見ているジェレミアの心境は穏やかではなかった。
薬の所為とはいえ、ルルーシュがもっとも信頼を寄せている枢木スザクが、自分の主に抱きつく姿など見たくはない。
そう、ジェレミアは、”心”を奪われたスザクがルルーシュに抱きつくことを確信している。
じっとルルーシュを見つめていたスザクは、やがて、にっこりと温かい笑みを浮かべたかと思うと、自分の椅子をルルーシュの隣に置いて、そこにちょんと座ってニコニコと笑顔を浮かべた。
そして、いつまでもいつまでもそのままで、ニコニコと笑っている。
抱きつくどころか、隣に座っているルルーシュに指一本触れようとはしない。
得心がいかないルルーシュの顔に、不機嫌が滲み出ている。
「・・・なんだ、これは?」
ハラハラしながら見守っていたジェレミアの隣で、C.C.が笑いを堪えきれずに、おもわず「ぷっ」と吹き出した。
スザクは相変わらずルルーシュの横でニコニコと笑っている。
「これはどういうことだ、C.C.!?」
「私に聞かれても困るが・・・」
もともとの薬の所有者はC.C.だったが、その薬を使うことで、相手がどのような反応を見せるのかまでは予想がつかない。
C.C.は納得のいかない顔のルルーシュの手からひょいとスザクの”心”を奪うと、素早くジェレミアにパスした。
「な、なにをするのだ!」
「まぁまぁ・・・いいから、少し持っていろ」
一度ルルーシュの”心”で酷い目にあっているジェレミアは、まるで危険物でも渡されたかのように、怯えている。
ルルーシュはつまらなさそうな顔をしながら、黙ってそれを眺めていた。
すると、突然椅子から立ち上がったスザクは部屋の外へと出て行ったかと思うと、すぐに戻ってきて、ジェレミアの前で片膝をつきながら真っ赤な薔薇の花束を差し出した。
「あ・・・あの・・・」
「受け取ってやれ」
「わ、私が・・・ですか?」
「今はお前がスザクの”心”をもっているのだから、当然だろう」
「し、しかし・・・」
ジェレミアがちらりとルルーシュの顔を覗き見れば、不機嫌オーラ全開で、むっとした表情を浮かべているのが見えた。
「あ、あの・・・ルルーシュ様、こ、これは・・・」
「なにかの間違いです」と、言いかけたジェレミアだったが、
「折角だから、もらっておけばいいだろう」
憮然としたルルーシュの声に阻まれて、ジェレミアは恐れ戦いている。
そのジェレミアの目の前で、なかなか花束を受け取ってもらえないスザクは、頬をかすかに赤らめながらも真顔を崩さずに、いつまでもいつまでもそのままの姿勢で、ジェレミアが花束を受け取ってくれるのを待っていた。
その一事を見ても、スザクの忍耐強さが窺える。
しかし、ルルーシュの目の前でそんなものを受け取ることはできない。
だが、受け取らなければ、スザクはいつまでもそのままの格好で、ジェレミアが受け取ってくれるのを待つだろう。
だからと言って、うっかりスザクに同情して花束を受け取ってしまえば、後々ルルーシュにネチネチと虐められることは間違いなかった。
どうしていいのかわからずに、困り果てているジェレミアの手から、スザクの”心”をC.C.が奪い取る。
そしてそれを再びルルーシュの手に預けた。
すると、スザクは手にしていた花束を放り捨てて、ルルーシュの隣にある椅子に腰掛けながら、さっきと同様にニコニコと邪気のない笑みを浮かべ始める。
もう花束には見向きもしない。
つまり、ルルーシュには花束をくれる気はないということだ。
「・・・この差はなんなんだ!?」
ルルーシュが疑問に思うのももっともだった。
ジェレミアなんかとは比べ物にならないくらいに、ルルーシュはスザクとのつきあいが古いのだ。
ルルーシュはスザクを親友だと思っている。
それなのに、
「・・・スザクと親友だと思っているのはお前だけで、実はスザクの方ではそうは思っていないんじゃないのか?」
「くっ・・・」
痛いことをズバリとC.C.に言われて、ルルーシュは顔を顰める。
「でなければ、お前には友達以上の感情は持っていないということか・・・」
「で、では、ジェレミアはどうなんだ!お、お前まさか・・・スザクに色仕掛けでも・・・」
「ば、馬鹿なことを言わないでください!」
「お前にそのつもりがなくても、無自覚の色気でスザクを誘惑したのではないのか!?」
「な、なにを仰っているんですか!?」
「俺に忠義だの忠節だのと言いながら、お前がスザクに手を出しているとは思わなかった・・・。で、お前達はどこまでの関係なのだ?」
「ちょ、ちょっと待ってください!いきなりどうして話がそこまで飛躍するんですか!?私と枢木の関係でしたら、無関係です!まだなんにもありません!」
「まだ・・・?と言うことはこの先発展性があるということか・・・」
「ルルーシュ様!・・・あなたと言う人は、どうしてそうひとの揚げ足を取るようなことばかり仰るのですか!」
などと、言い争っているルルーシュとジェレミアの横では、スザクが緊迫感のない笑みを浮かべている。
C.C.は愉しそうに薄く笑いながら、ルルーシュの手にあるスザクの”心”をジェレミアへと渡した。
椅子から立ち上がったスザクは、さっき放り捨てた花束を拾うのかと思いきや、それには見向きもせずに、真っ直ぐにジェレミアの前へと進んで、軽々とジェレミアの体を抱き上げる。
「C.C.!なんの真似だ!?」
「スザクの行動がわからないので、もう少し検証してみようかと思ってだな・・・」
焦りまくっているジェレミアの声にも怯むことなく、C.C.は笑っている。
完全に遊びモードにスイッチが入っているようだ。
ルルーシュは、スザクに抱き上げられたジェレミアに、冷たい視線を向けていた。
その視線をまったく気にしていないスザクは、ジェレミアを抱え上げたまま、廊下へと続く扉へと足を向ける。
自分より体格の華奢な少年に抱えられて、不安定な体勢のジェレミアは抵抗することも儘ならず、オロオロとうろたえることしかできない。
「ル、ルルーシュ様!助けてください!!」
「安心しろジェレミア。俺は心が広いから、職場内恋愛に口を出すつもりはない。精々スザクに可愛がってもらうんだな!」
廊下へと続く扉が、徐々にジェレミアの目の前に迫っていた。
Go to Next→